拳を固めてサワディカップ18-3

1月11日9:00起床。リンからの電話で目が覚める。

昨日食べた海鮮料理でアレルギーが出て、全身かゆくて熱が下がらないとのこと。

プールも朝食も後回しにして、9:30にwhat’s up dog で待ち合わせをしたリンは、顔が真っ青で本当に辛そうだった。3000B(9000円)を握らせ、手配したタクシーにリンを乗せて、「一番近い大学病院へ連れて行ってあげてほしい」と運転手にお願いした。

タクシーを見送った後、おかゆを注文して、一息ついていると、

「アンタ、ほんとにお人好しね」

オーナーのティナはそう言ってチャン・ビールをごちそうしてくれた。

おかゆを食べ終わった後、近所をぶらぶらと散歩した。

コロナウイルスの影響なのか、マスクをしている人が多い。行きつけのセブンイレブンの前でたむろしているバイクタクシーの運転手たちとサイダーを飲みながら煙草を吸っていると、

「会社からマスク着用を義務付けられて本当にいい迷惑だ。息苦しくてやってられないよ」

と皆一様に愚痴をこぼしていた。

今後は世界的に出入国に制限がかかるという噂も聞いた。もしそれが本当なら、今現在マッチメイクしている試合も流れる可能性が高いということになる。その場合、試合中止や招聘中止によって発生する負担は一体どこが受け持つのだろう。

まれにみるパニックだから、こんな条項は契約書には盛り込まれていない。せいぜいフライトの遅延による振り替えや不慮の事故に対する補償程度だ。

ニュースを見ていても、世界中の政府規模の関係機関が先の見えないパニックに後手後手の対応を迫られているようだ。ボクシングなどのスポーツや芸能など、興行の業界への助成や給付・支援は、食や生産・流通などの主要業界への対応に比べてかなりの後回しになるだろう。

各方面での契約トラブルが予想される。

押しの強い外国人に比べて、日本人は交渉に対して腰が引けることが多い。タイの三輪バイク、トゥクトゥクの運転手が50円・100円単位のぼったくりを仕掛けてきても、「ゴタゴタして時間をとられるくらいなら、それくらい払ってもいいだろう」と安易に妥協してしまうことがある。簡単に一つ譲ってしまうと、堰を切ったようになし崩しにズルズルと押し込まれてしまう。そう考えると、今現在取り掛かっているマッチメイクのことが急に心配になってきた。

週末だから、チャトゥチャック市場でも行ってのんびりしようと思ったが、そうもいかないようだ。遊びまわるのは控えて、今後の起こりうる状況の対策を考えることにしよう。

6時間ホテルにこもりっきりで、ああでもないこうでもないと考えている間に、ルームサービスで頼んだコーヒーは10杯を超えた。へとへとになって作り直した契約書を見て、「なんて自分に都合のいい契約書だろう」と思った自分のお人好しぶりに苦笑いした。

17:00、タクシーを手配してサーサクンジムへ向かう途中、大型ショッピングモール・BIG-Cへ寄ってもらい、スプレータイプの消毒液をたくさん買い込んだ。

18:00ジムへ到着。入口に消毒スプレーを設置してから、チャッチャイと握手。

コーラはあの敗戦がよほどショックだったのか、ジムへは来ていないという。タイでは若いボクサー人口が大きいのか、それともボクサーの仕入れに自信があるのか、チャッチャイにコーラを引き留める様子はない。

「去る者は追わず」
「自主性次第」

言葉で言えば潔く聞こえるが、薄情で残酷な世界だなと改めて思った。

チャッチャイとジンジャーエールを飲みながら話をしていると、これから3戦、いい勝ち方をすれば、ペッマニーを世界に挑戦させる話があるという。コロナウイルスの影響で今後海外の選手との世界戦が困難になるということは、ターゲットはWBC(世界ボクシング評議会)ミニマム級チャンピオン、ワンヘン・ミナヨーティン(タイ)になるのだろう。

ワンヘンの試合は2度の福原辰弥(本田フィットネス)戦で研究済みだ。50戦全勝の穴のないチャンピオンだが、付け入るスキがないわけではない。ワンヘンは確かにうまいチャンピオンだが、今の彼にはボクサーとして最も大事なものが欠けている。

がむしゃらに勝ちに行く気持ちだ。今の彼は守ることに慣れすぎてしまっている。

「勝ちたい」と「負けたくない」は大きく違う。

男の純情の差と言ってもいい。

王者になってカネと名声を得て、「この座から滑り落ちたくない」と思うボクサーと、「頂点に駆け上がり、この貧困からなんとしてでも脱出してやる」と思うボクサーには圧倒的な想いや勢いの差がある。王者が何度も防衛を重ねることができるとしたら、「飢え」を忘れずに挑戦者の気持ちで防衛戦を続けているからだろう。

そう考えると、ペッマニーに指導することはただひとつ。

体が悲鳴を上げるほどのハードなトレーニングに尽きる。駆け引き、テクニック、頭脳戦を惜しげもなく捨てて、無尽蔵のスタミナとあくなき前進で、中国のスーパースター、ゾウ・シミン(中国)をブルトーザーのごとく押しつぶしてWBO(世界ボクシング機構)フライ級王座を強奪した木村翔(青木)のように。

「これから辛い毎日になるぞ」

そう話すと、ペッマニーは燃えるような目で静かにうなずいた。