拳を固めてサワディカップ19-2

2月14日、9時起床。ホテル前で強盗事件があったらしく、パトカーのサイレンが鳴りびいている。

朝食を摂りに階下に降りるとなかなかの大騒ぎだった。羽交い絞めにされた犯人が警官に蹴りを繰り出し、屈強な警官が返す刀で頭に棍棒を振り落としている。2.3発頭を叩き割られたところで犯人はおとなしくパトカーに乗せられ連行されていった。

屋台で50B(150円)のカオマンガイを食べていると、おかみさんたちも先ほどの逮捕劇でテンションも高く、テーブルにべったりで話しかけてくる。

「最近はこの辺りも物騒だから気をつけないと」
「外国人はお金を持ってると思われるから注意してね」

気をつけよう。

今日は日差しが気持ちいい。プールに繰り出し10mを25本泳ぐが、もうすぐ50歳、息切れがひどい。若い現役ボクサーたちに付き合うためにももう少し体を鍛えておきたい。

トレーナーに転向した30歳の頃は選手と兄弟のような関係でいられた。10代後半から選手としてボクサーを目指す子たちは30歳そこらで引退する。一方、こちらはずっとジムで指導者を続けている。だから、昨今のボクサーとはいつしか親子のような年齢差になってしまっている。

なるほど、指導の質も変えなければいけない訳だ。

若いころは一緒に汗を流して苦労を共有する指導でやっていけたが、これからは言って聞かせる指導にスライドしていかないといけないなと改めて感じた。エディ・ファッチやエマニエル・スチュワート、五戸定博のような理論派になる準備を始めておきたい。

昼過ぎまで少し昼寝をして、エカマイの街を歩く。日本人駐在員が多く生活しているエリアだ。カフェでくつろいでいても、聞こえてくる言葉は日本語ばかり。少しほっとする。

「日本の方ですか?」

声を掛けられ、駐在員の奥様連中から愚痴をさんざん聞かされる。タワーマンションに住めるし給料はいいけれど、今更タイ語なんか勉強したくないし、タイ人に溶け込めないから、結局駐在員の奥様同士で愚痴を言い合うだけの毎日でうんざりですと、羨ましい泣き言を聞かされた。

地下鉄に乗ってホテルに帰還。支度をしてタクシーを手配。サーサクンジムへ向かう。

タイのボクシングジムは実に国際色豊かだ。日本の道場色が少ないせいか、ONE-DAYで様々な国の人々が練習している。一日体験入門のシステムが功を奏しているのかもしれない。

180cmはあろうかというイラン人、サイードが寄ってきてミットとスパーリングの相手をしてほしいと言う。

観光客の体験入門かと思いきや、アマチュアで国内チャンピオンになったこともある端正なボクシングをするいい選手だった。

老体に鞭を打ってスパーリング。

ジャブが素晴らしい選手だった。首がしびれるほどのジャブをたくさん浴びた代わりに、そのジャブの引き際のステップインをしつこく教え込んだ。

「肉を切らせて骨を断つ。新しい勉強でした。我々イラン人は打たせずに打つテクニックしか教わっていませんでした。中東がアマチュアからプロに発展しない理由がわかりました。ただ勝てばいいわけじゃない、魅せるボクシングをしないといけないということを我々は知らなかった」

こちらも各国のボクシング事情を知ることができていい経験になった。

シャワーを浴びてチャッチャイと今後のプランを話し合っていると、WBA(世界ボクシング協会)ミニマム級チャンピオン、ノックアウト・CPフレッシュマートがやってきた。試合前でもないのに引き締まったいいシルエットだ。

「ケンが来ているとチャッチャイから聞いた。次の防衛戦のために、左フックのカウンターをいくつか教えてほしい」

汗臭いTシャツにもう一度着替えて4種類の左フックのカウンターをミットで教え込んだ。中でも石田順裕(金沢)がジェームス・カークランド(米国)を1ラウンドでKOした時の、力の抜けたショートの左フックを教えると、ノックアウトも新鮮だったようだ。

「KOは力じゃない。スピードと、打ち出しのタイミングだ」

この理屈を理解してくれたのがうれしかった。

みんなでサイダーを飲みながら反省会。

「なあ、ケン、俺たちはなんでこんな指導者をやっているんだろう。どうしてケンはカネにもならないのにこんなことをやっているんだ?」

チャッチャイから、なかなか難しい質問をされた。

この20年を振り返りながら、真面目に返答した。

「ほかにもうまくやれることがあるのに、カネを稼ぐ方法なんていくらでもあるのに、敢えてボクシングを選んできているそんな奴らに、あぁ、今日もちょっとマシな一日だったなと思ってほしいからだ。おれたちもいろんな商売に手を出しては失敗してきたじゃないか。おれたちにはこれしかないんだよ」

そうだよな、そうなんだよな、とチャッチャイとしんみりしながらサイダーで乾杯した。