拳を固めてサワディカップ19-4
2月16日、9:00起床。
コーヒーを飲みながらテレビを見ていると、コロナウィルス感染拡大のニュースでもちきりになっている。やはりただ事ではなくなってきているようだ。4月7日のフライトもすでに予約してあるが、このままでは無事に渡航することも怪しくなるだろう。日本国内でのマッチメイクのキャンセルも5件を超えた。一通り、対応策は練ってはいるが、今後の仕事に支障をきたすのは必至のようだ。
屋外プールでひと泳ぎ。暗い気分を吹き飛ばすように10mスイムを30本こなす。ヘトヘトに疲れてしまったが、頭のモヤモヤはどうも晴れない。
サパンクワイ駅まで足を延ばし朝食を摂りに行く。駅前の大型スーパー、BIG-C辺りはほぼ100%の人がマスクを着用している。感染を恐れてか、人通りも通常の半分近くに減っている。空はきれいに晴れ渡っているというのに、街の閉塞感は尋常ではない。誰もがすれ違う人を汚いものを見るような目でにらみつけ、大げさに体を交わしながら行き交っている。これがあの誰彼なくフレンドリーに接するタイ人かと目を疑うような光景だ。
駅近くの屋台に入り、チャン・ビールとパッタイ(タイ風焼きそば)を注文。しめて130B(360円)。激辛でおいしかった。隣接するタイマッサージ屋に入り、1時間みっちり背中の疲れをとってもらう。
「ナコンラチャシーマ(タイ北東部)の家族がコロナにかかっちゃったから、来週から休暇を取って里帰りするんです」
とマッサージを担当してくれたお兄ちゃんは悲しそうに言っていた。
旅費の足しにとチップを多めにあげて道草をせずホテルに戻る。
15:00、サーサクンジムへタクシーを走らせる。
このジムの中だけはコロナウィルスもどこ吹く風。呑気なのか、皆いつもと変わらない様子だ。
イラン人のサイードと5ラウンドのミット打ち。ストレートしか打てないサイードにフックやアッパー、サイドステップをみっちり教え込んだ。さすがアマチュアチャンピオン、覚えが早く、教えたことをあっという間にモノにしていくそのセンスには脱帽だ。
続いて3ラウンドの軽めのスパーリングの相手をした。相変わらずジャブが素晴らしい。ノーモーションからの鋭いジャブはどんなに上体を振って的をずらしてもこちらの鼻っ柱を正確にとらえてくる。相手をしていて自分が情けなくなってくるほどだ。しかもその威力がすごい。背中まで衝撃が走るジャブをもらったのは生まれて初めてだった。
スパーリング終了後、グローブを外してシャドーボクシングをまじまじと見せてもらうと、その打ち方、理論に驚かされた。
「我々イラン人はトレーナーから相手の後頭部へ打ち抜くようにジャブを打てと教わっています。顔面でヒットさせるのではなく、顔面を突き抜けて後頭部の頭蓋骨を内側から破壊するイメージでストレートを打ちます」
と言う。
スローモーションでシャドーをしてもらってその意味がやっと分かった。拳を握るタイミング、ダメージを注入するタイミングが古武術のそれだった。
世界は広い。ここ最近、ボクシングを総合的にとらえすぎていて、ポイントの取り方、主導権の握り方、チャンスの作り方、カウンターの決め方など、テクニックに走りすぎて、一発一発のパンチへのこだわりを忘れていた。
思い返せば、10歳のころ、3か月間ジャブしか打たせてもらえず、だからこそ自分なりにいろんなジャブをこだわって必死に研究していた時期があったじゃないか。その甲斐あって、リングの中でそのジャブに助けられたことが数えきれないほどあったじゃないか。
教え子から学ぶ。貴重な経験だった。
ありがとう、サイード。
一つ勉強するとボクシングはめっきりと面白くなる。ほどなくしてやって来たノックアウトやペッマニーのミット打ちの相手をしていると、
「あぁ、やっぱりボクシングはいい。ボクシングは楽しい」
しみじみそう思った。どんなに歳をとってもキャリアを重ねてもゴールなんかない。勉強とおさらいの連続だ。
何をやっても飽きっぽかった私が、ボクシングだけは飽きたことなんてない。こんなに面白いものはない。
練習後、チャッチャイとサイダーで乾杯。
「ケン、今後、タイでの興行は無観客での試合になりそうだ。試合がないよりはいいが、選手のモチベーションが心配だ」
浮かない顔でチャッチャイが語る。
「確かに。だが、それは相手にしても同じことだろう。おれたちはボクシングの楽しさや素晴らしさを教え続けよう。勝てばカネも入ってくるし女にだってモテる。そして何より、自分を追い込んだ気持ちのよさは、他の何物にも代えがたいものだろう?」
そう言うと、世界チャンピオン時代を思い出したのか、チャッチャイがクスクスと笑い出した。
後、数時間で帰国だ。
次回の訪タイが難しいものになるだろうと考えると、ドンムアン空港へ向かうタクシーの車窓から眺めるタイの街並みが名残惜しい。