拳を固めてサワディカップ21-1
コロナウィルス・パニックでタイに渡航できない間にいろいろなことがあった。
会社の業務を立て直し、日々変化していく状況に追われるのは本当に大変だった。行動を規制されては解除され、再び感染者が増えればまたもや行動規制が入る、の繰り返し。企画したことがことごとくつぶれ、練り直しを余儀なくされる。飲食店の営業時間にも規制が入り、息抜きの夜遊びさえもできない毎日でストレスがたまる一方だった。
2020年11月27日、そんな中、朗報が飛び込んできた。
ペッマニー・CPフレッシュマートが同国人のチャンピオン、ワンヘン・ミナヨーティンを見事3-0の判定で破り、WBC(世界ボクシング評議会)ミニマム級新チャンピオンに輝いた。
電話でもたまに近況を聞いていたし、チャッチャイも彼の練習風景の動画を送ってくれていたので、頑張っているのは知っていたが、本音を言うと54戦無敗のワンヘンを攻略できるとは思っていなかった。
チャッチャイは電話で試合結果を私に告げると、すぐにペッマニーに電話を替わってくれた。
「新チャンピオン、おめでとう」そう言うと、
「ありがとうございます。ぼく、頑張りました。ケンさんのメニューをやり切りました。世界チャンピオンになったんです」
弾んだ声が聞こえてきた。彼との連日のミット打ちを思い出す。
思わず目頭が熱くなった。おめでとう、ペッマニー。
2021年11月22日にはパタヤで、ウエルター級のマイボーイ、ジャスティンが右カウンター一発で鮮やかなKO勝ち。一から育て上げてきた我々の選手たちが結果を出し始めた。
チャッチャイは行動自粛の合間を縫って、自主興行を立ち上げた。
第一回は2022年2月9日。サーサクン・ジムでの観客席なしのオープン戦のみだったが、FACEBOOK上で生配信するなど、チャッチャイはできることを最大限に努力した。大手のスポンサーは相手にはしてくれなかったが、ジムがあるラムルッカの自動車メーカーの支店長や近所の商店の社長たちがささやかながら協賛をしてくれたおかげで、なんとか初興行を成功させることができた。
我々の選手、キティデックもアッチャリアも見事な勝利を収めてくれた。
「デビュー戦の若い選手にもきちんとファイトマネーを払うように。不足分はいくらでも送金する」
そう口を酸っぱくして言っていた約束もチャッチャイはきちんと守ってくれた。多少の赤字が出た興行だったが、細かい銭金の収支より、こんな状況で立派にやり遂げたチャッチャイを称えたいと思う。
6月19日には第二回興行。軍の体育館をお借りして興行した。やはりTVはつかなかったが、映像関係の会社をやっているジム会員、ティーのおかげで前回よりも質のいい映像をFACEBOOKで生配信することができた。
ほんの少しずつだが、夜明けが近づいていると感じた。
7月下旬、チャッチャイから電話。
「アッチャリアが試合で大阪に行く。急で悪いが駆けつけてやってほしい」
急遽、関空行きのチケットを手配し、大阪に飛んだ。試合は相手選手の頑張りでアッチャリアは空回りしてスタミナ切れ。初黒星を喫してしまったが、うちの選手が海外で試合ができるようになったことの喜びのほうが大きかった。
福岡に帰るとすぐにバンコク行きのチケットを手配した。ワクチンは3回打っているが、帰国前にはPCR検査もある。もし陽性になってしまったら、帰国は延長で仕事にも支障が出ることは明白だし、高額な医療費の支払いのための保険にも加入しなければいけない。
ややこしいことだらけだが、もう行かずにはいられないと思った。
この夏、ある大きな決断をするであろうことは自分でも薄々わかっている。コロナでモタモタしているうちに50歳になった。もうこれ以上ぐずぐずしていられない。
これまで搭乗していたタイ・ライオンエア、ジェットスター、タイ国際航空はすべて欠航若しくは廃線になっている。取れたチケットは初めてのタイ・ベトジェットエア。久しぶりのスワンナプーム空港だ。
早くジムに行ってみんなの練習を見たい。みんなの練習メニューを考え出すともう止まらない。走り込みにも連れ出したい。教えたいコンビネーションも接近戦のテクニックも考え出すときりがない。
8月31日にはペッマニーの3度目の防衛戦がナコンラチャシーマで用意された。挑戦者は日本の田中教仁(三迫)。粘り強い強敵だが、乗りに乗っているペッマニーはきっとやってくれるはずだ。
2年半ぶりのタイ渡航。こんなに心躍るのは久しぶりだ。
自粛期間中に運動不足で体重は5kgも増えた。
若い連中についていけるように出発の日までジョギングをして体力を作っておこう。