拳を固めてサワディカップ21-4

8月28日、9:00起床。今日もいい天気だ。

ホテル前の屋台でガパオライスの朝食。プールで1時間泳いだ後、BTSサパーンクワイ駅から高架鉄道を乗り継いで、バンワー駅へ行く。

SNSで知り合ったムエタイジムの会長、ジャローンサック氏から連絡があり、時間があるときぜひジムに顔を出してほしい、と言われていたのを思い出し、会いに行くことになった。

バンワー駅からタクシーを拾い、グーグルマップを頼りにジムを目指すが、運転手はどうしてもたどり着けない、ここから先は車が入れないけもの道だから、ここで降りてほしいと、屋台村広場で降ろされた。

マップを頼りに歩いていくが、草木がうっそうと茂っているスラム地区で、こんなところに本当にジムなどあるのかと心配になるほどの荒んだ道だった。

やっとの思いでジムに着くと、思ったよりも小柄なジャローンサック氏が満面の笑みで迎え入れてくれた。

歴史を感じさせる古いジムだが、よく手入れされていて、ジャローンサック氏のジムへの愛情がうかがえる。ふたりの愛娘をムエタイ選手に育て上げ、特に次女のスーパーガールは、強烈な膝蹴りを武器に、ONE-CHAMPIONSHIPに出場するほどのスター選手にまでになったそうだ。壁には誇らしげにファイティングポーズをとるスーパーガールの巨大なパネルが飾ってあった。

「長女のワンダーガールはボクシングの試合にも出場していて、日本で試合したこともあるんです。ケンさん、機会があれば、娘の試合を組んでください。お願いします」

何度も何度もそう頼まれた。

おいしいハーブティをごちそうになりながら、1時間ほどボクシング談義をしていたが、ジャローンサック氏と話していると、改めて情熱の大切さを痛感した。

「娘たちにはムエタイやボクシングの成功だけではなく、人として立派に育ってもらいたいと思っています。引退後も悲しい暮らしをしなくてもいいように、質の高い学校に通わせているし、英語やスペイン語などの語学も習わせています。私はムエタイで300戦以上戦いましたが、この小さなジムと家しか残せませんでした。私はムエタイしか知らなかった。娘たちにはもっと社会的な知恵を学んでもらいたい。潤いのある人生を歩いてほしいんです。そのためには私は何でもする覚悟です」

まっすぐに私の目を見据えてそう話すジャローンサック氏の眼差しは真剣そのものだった。

このたび、20年間勤めてきた日本のジムをやめることを決めた。

ボクシングで挫折し、商売に打ち込んだ20代。30歳になって関ボクシングジムにトレーナーとして20年間かかわってきた。マネージャーライセンスも取得し、気が付けば人生の半分近くを関会長と過ごしてきた。

毎年の九電記念体育館での自主興行。二度の日本タイトルマッチ、初の全日本新人王輩出。ハードな毎日だったが、一生忘れられない素晴らしい経験をさせていただいた。

コロナ禍の中、自分はどうやってボクシング人生を終えるのかをずっと考えていた。導かれるように流れてきたタイへの道。このままいつまで老体に鞭打ってミットを持っていられるのかわからない。衰えた指導者は選手を強くすることなんかできやしない。これからはカネや時間、そしてコネを有効に使い、選手たちにチャンスを作ってあげられるような立場の仕事もいいんじゃないか、そう思い始めた。

日本では数少ない国際マッチメイカー。小さな力でどこまでやれるのかはわからないが、ジャローンサック氏と話をしていると、50歳を過ぎた今、もう一度一年生になって新しい道に挑戦するのも悪くないと勇気がわいてきた。

ジムをやめるということは、JBC(日本ボクシングコミッション)のライセンスを返上することになり、無所属のフリーランサーになるということだ。これがどれほどのメリットなのかデメリットなのかは今はわからないが、もう気持ちは決まってしまっている。マイペンライの気持ちで、前を向いて頑張ろう。

ホテルに戻り、大志君を夕食に誘い、いつものタイレストランで待ち合わせをしていると、友人のオームから電話。食事に行く約束をしていたのを忘れていた。

大志君に事情を話し、みんなで宴会をすることになった。

オームは職場で見つけたという彼氏を、妹のブーンもボーイフレンドを連れてきた。

彼氏のほうがたいぶオームにご執心の様で、「パパ、パパ」とオームが私のことをそう呼ぶので、複雑そうな顔をしている。

「心配するようなことは何もないよ。彼女とは家族ぐるみの付き合いだから、安心してもらいたい。これからもよろしくね」

以前、私の妻や家族と一緒に食事をした写真を見せてそう言うと、ほっとしたのか、

「パパ、それを聞いて安心しました。彼女は気が強いけど、きっとぼくたちいい家庭を作って見せます。これからもよろしくお願いします」

幼い笑顔の彼とウイスキー・ソーダで何度も乾杯した。

「パパ」の使い方が間違っているような気がしてならないが、ま、おめでたい席だ。細かいことは気にしないことにしよう。

オーム、彼氏君、おめでとう。末永く仲よくね。