拳を固めてサワディカップ22-2
11月17日、9:00起床。ホテル近くの食堂でチャン・ビールとパッタイの朝食、しめて200B(800円)。
屋外プールで軽く泳ぐが、曇っていて日差しも少なかったので、少し寒かった。
今日は昼過ぎに運び屋メンバーの吉岡君が到着するので、スワンナプーム空港へ向かう。
サパンクワイ駅からBTS(高架鉄道)でパヤタイ駅へ。ARL(エアポートレイルリンク)に乗り換え30分もするとアジア随一の国際空港、スワンナプーム空港へ到着。
バンコクは初めてだという吉岡君のため、15日に到着した際に、イミグレーションから出口までの経路を歩きながら動画に撮影し、吉岡君に送っておいた。我々は出口で待ち受けていれば大丈夫だと思っていたが、予想外のことが起きた。
11月18日からバンコクで開催されるAPEC首脳会議の為、空港は厳戒態勢。吉岡君が出てくる出口付近は外部からの立ち入りは禁止され、出迎えの人々はことごとく追い払われた。出口は南北にふたつあり、1/2の確率で会えなくなってしまう事態に陥った。彼のスマホにLINEをしてみるが、Wifiにうまく接続できていないのか、連絡が取れない。場内放送をしても英語ができない吉岡君ではまず聞き逃してしまうだろう。
どうしようかと頭を抱えていると、1/2の確率で彼は我々のいる方の出口へ来てくれた。幸先の悪い出だしだったが、ほっとひと安心。
出迎えに手間取ったおかげで、ホテルに吉岡君の荷物を置きに行く暇もなく、タクシーを拾い、元WBCバンタム級、スーパーフェザー級チャンピオン、シリモンコンの待つ、シンマナサックジムへ向かう。
1時間ほどかけて、ジムへ到着。3か月ぶりに再会したシリモンコンが満面の笑みで迎えてくれた。
着くなり、今月に試合を控えているアヌソンの練習を見てくれと言われ、パンチの角度や頭の位置などを指導する。スタミナもあり、タイ人にしては全力投球でトレーニングをするいい選手だった。センスも悪くない。初の海外での試合ということだが、メンタルで飲まれなければきっとやってくれるだろう。
風がちっとも通らないジムの中はサウナの様だ。少し身振り手振りで指導しただけで全身汗でびっしょりになる。ジムの外に出て風にあたりながらひと休みしようと思っていたら、シリモンコンがヘッドギアとグローブをつけながらこちらを見てニヤニヤと笑っている。
「ケン、なにしてるの。さぁ、スパーリングをしましょう。早く支度をしてくださいな」
思わず耳を疑った。冗談じゃない。30年前はお互いバンタム級(53.5kg)だったが、今はお互い締まらない体になってしまっている。年も50歳と45歳。もっと言えば、彼は今でも現役でベアナックルファイトに出場しチャンピオンになっているという。下手をしたらケガをするだけでは済まないぞ、と思っていると、
「早く早く。細かいこと考えないで、さぁ、始めましょう」
押し切られるようにしてリングに上がった。
3分間が10分にも感じられる1ラウンドだった。それほど恐ろしい1ラウンドだった。
全ての動き、全てのパンチにカウンターを決められた。こちらのフェイントは全く通じなかった。一分過ぎ、シリモンコンの重たいジャブで吹っ飛ばされるようにダウンした。
畳みかけてきたシリモンコンを左フックのカウンターでぐらつかせたが、そのあとの追撃は見事なまでにかわされ、ロープに詰められ滅多打ちに遭う。
ラスト30秒、ロープに追い込んで右フックを放ってきたシリモンコンのアゴに右のショートストレートを打ち抜くと、元チャンピオンは前のめりにキャンバスに倒れていった。
立ち上がったシリモンコンにしこたまジャブを打たれ、終了のゴングが鳴った時には疲労困憊で立っていられなかった。
実に恐ろしい3分間だった。
リングサイドで大の字になっている私を尻目にシリモンコンは元気にサンドバッグを叩き、その後、吉岡君もシリモンコンの餌食になった。
これが世界の頂点に二度も立った男の実力かと、あきれるような思いだった。往年のスピードこそないが、当て勘や身のこなし、距離感と、どれをとっても一級品だった。
仲よく記念撮影をして、今後のマッチメイクのことなどを話し合っていたが、やはり、リングの上で倒されるというのは本当に悔しいものだ。素質、実績、現状など、仕方ないのはわかっているが、それでも無性に悔しかった。
改めて、もうすっかり歳をとってしまった、自分のまぶしい季節は終わってしまっていたんだなと、思い知らされた。
シャワーを浴びて、帰り支度をしていると、
「これからチャッチャイのところに行くんでしょう?車で送ってあげるから、みんなで食事に行きましょうよ」
と、シリモンコンの運転する車でチャッチャイのジムへ行き、選手たちの練習を見た後、みんなでリバーサイドレストランへ。
過酷過ぎたスパーリングの後のビールは格別だった。みんなで楽しく食事をしていると、ふと、日本にいる母親の誕生日が今日だったことに気が付いた。
動画を回し、みんなから母親へのHAPPY BIRTHDAYのビデオレターを作ってもらった。すぐにLINEで送信すると母親は大喜び。お開きになった後も、酒を飲まないシリモンコンが1時間かけて我々をホテルまで車で送ってくれた。
ひどく疲れてダメージも大きい一日だったが、一生忘れられないいい思い出になった。