拳を固めてサワディカップ26-4

8月29日、8:30起床。昨日は本当に飲み過ぎた。青島氏とフン君に連絡をするが、二人とも電話に出ない。

あれだけ痛飲したんだから無理もないか。ぐっすり寝ているんだろう。仕方ない、プールでひと泳ぎして酒抜きしよう。

広々としたプールで1時間ほど泳いだ後、プールサイドで日光浴。さすがビーチリゾート、日差しがバンコクとは比べ物にならないくらい強くて気持ちいい。

プールの清掃員が唐突にトロピカル・ジュースを持ってきてくれた。

「頼んでないよ」そう言うと、

「昨日、ラヨーンの試合を見に行っていたんですよ。パンヤーは本当に強かったですね。おめでとうございます。このジュースは私からのサービスです」

ニコニコしながらスマートフォンの写真をたくさん見せてくれた。そこにはうちの選手たちやナコンルアン、ギャラクシーの選手たちの写真が数えきれないほど収められてあった。大のボクシングファンらしく、タイで行われる大きな試合はほとんど見に行っているという。

「チャッチャイのところに日本人の指導者がいるというのは、以前から聞いていました。まさかこんなところで会えるとは思いませんでした。タイの選手はスピードのない一発屋が多かったのに、チャッチャイのところの選手は、あなたのおかげで、スピードと手数のあるスタイリッシュな選手が増えました。もっとたくさんタイの世界王者を作ってください」

簡単に言ってくれるよ、と思いながら、振り返ってみると、タイの選手やボクシング関係者の顔見知りはずいぶんと増えたが、タイ人のボクシングファンとの交流はほとんど初めてのことだった。プロスポーツである以上、ファンやマスコミの視線をないがしろにしていてはこの競技の発展はない。

国として、様々な困難を乗り越えてきた経緯から、ほとんどの国では攻撃的なボクシングを好むファンが多い。かつての自分たちの困難やそれを打破してきた歴史や思いをボクシングに投影しているのだろう。ごくまれに、洗練された技術を鑑賞する国もあるが、それはほんの一握りで、ほとんどの国はボクサーの勇敢さに惜しみない拍手を送り、酔いしれる。

ただ勝てばいいというものではない。先日、パンヤーたちとバンコクの街を歩いていた時、誰一人としてパンヤーはおろか、チャッチャイの存在に気付く者はいなかった。タイ国内でボクシングが下火になっているとはいえ、あんまりだと思った。ファイトマネーをいくら稼ごうとも、防衛記録を作ろうとも、それはあくまで数字上の話だ。数字を手に入れた後、次に渇望するのは名誉。そしてその先にあるのは、他への寄与や還元、すなわち存在価値という自己満足に落ち着くことになるのだろう。

かつての世界ヘビー級チャンピオン、モハメド・アリが理不尽なベトナム戦争への徴兵に対して、

「おれはベトナムになんの恨みのないし、奴らと戦ういわれがない。白人はおれを差別したが、ベトコンからは少なくともニッガ(黒んぼ)と呼ばれたことはないぜ」

と兵役を拒否。現役の世界王者でありながら、ボクサーとしての全盛期といえる25歳から28歳という黄金の時期を、アメリカ政府によって、ライセンス剥奪された。アリは自らの信義を貫き通すために、ボクサーとして一番稼げる、一番防衛回数を伸ばすことのできる大切な時間を、自ら捨てた。

数年後、ベトナムの激しいゲリラ的抵抗に遭い、戦線は敗色濃厚、追い打ちをかけるように、世界的な批判にさらされたアメリカは、戦争継続を断念。アリの信義が正しかったことが世界中に証明された。

「おれは政治家じゃない。その時一番正しいと思ったことを言って、その通りに行動しただけだよ。たとえ罰せられても恥ずかしくないね。おれの心は誰にも取られないぜ」

アリはスポーツや政治を超えた、人間としてのヒーローへと昇華した。

これまでに数えきれないくらいのボクサーを育ててきた。チャンピオンになった者もいれば、こちらの力不足で1勝もできずに引退していった者もいた。盛大な引退パーティを開いたボクサーもいれば、ひっそりと日常に戻っていったボクサーもいた。

ほとんどの選手が、数年がたって、家庭ができた、子供ができたと訪ねてきてくれる。みんな優しく立派な男になっていた。若いころはボクサーの現役時代にしか目がいっていなかったが、最近は、彼らのその後の穏やかな人生の報告を聞くのが楽しみになってきた。

恐怖や困難に全力で立ち向かった者だけが手に入れられる、誇りのようなものが確かにあると思う。そう思うと、これまで自分がやってきたことがそれほど悪いものではなかったような気がしてきて、なんだか元気が出てきた。

サイドテーブルに置いた携帯電話が鳴りだした。ようやく起きてきた二人とホテルをチェックアウト。近所の食堂でガパオライスを平らげ、元WBC(世界ボクシング評議会)ミニマム級チャンピオン、デン・ジュラパンが開いているイーグルジムへ。

あいにく本人は不在だったが、日本人マネージャーに挨拶してひとしきりボクシング談議に花が咲いた。

今回は国際免許を取ってきたので、帰りの運転を引き受けることに。

初めてのタイでの運転。昨日の余韻はまだ残っている。カーオーディオをフルボリュームで流しながら、抜けるようなタイの青空の下、みんなで大笑いしながらバンコクへと続くハイウェイを飛ばした。