拳を固めてサワディカップ27-3

7月14日、9:00起床。プールで泳ぐ前に、依頼されているマッチメイクの整理。大筋では決まっているが、ファイトマネーや航空チケットの枚数など、双方一歩も譲らず、なかなかスムーズに契約成立とはいかないようだ。日本はジム制度を取っていることもあり、ジムの会長と選手が同意すれば、とんとん拍子に契約成立となるのだが、海外ではトレーナー、マネージャー、コーディネーターなど、個々に独立した業界人が絡んでいるため、それぞれの経費が加算される。そのため、彼らは少しでも多くのファイトマネーや経費、航空チケットを要求する。

彼らの交渉はとてもタフで実に抜け目がない。例えば、ファイトマネーを増額するから、その中から諸々の経費を賄ってほしい、下手にそんな提案をすると、

「ファイトマネーはファイトマネー。それはありがたくいただくが、経費は別だ」

そう言って、さらに高い総額を要求されることになる。一度提示したファイトマネーはもう下げられない。日本人特有の妥協案を下手に提案すると、上げ足を取られ、益々ドツボにはまることもある。国民性や文化が違うのだから、当然といえば当然なのだが、正直、「そこはどちらでもいいだろう」とうんざりすることがある。国単位でみても、日本は強気な交渉事が下手だと耳にすることがある。あまり下手に出過ぎても、舐められっぱなしになるのも歯がゆいし、こちらのバジェット(与信)の限度もあるので、ここは一歩も引かずに交渉するしかない。性格的に、こういう作業は向いてないのだが。

ひと段落したところで、屋上のプールでひと泳ぎ。今日も抜けるような青空から照り付けるタイの日差しが気持ちいい。

プールサイドの写真を撮ってFACEBOOKにアップすると、友人のフィリピーノ、ブリコ・サンティグからメッセージが届く。

「ケン、タイに来ているんだろう?4月はうちの選手を福岡に招聘してくれてありがとう。時間があればぜひジムに顔を出してほしい。今後の話もしたいしさ」

今日は日曜日だから、サーサクン・ジムのプロ選手は休み。今日はジムに行くのをやめにして、ブリコのジムに遊びに行ってみよう。

1時間ほど泳いだあと、カオサン・ロードの屋台でガパオ・ライスで40B(160円)の朝食兼昼食。ひき肉が粗引きで、ゴロゴロとしたガパオが美味しかった。短パン一枚で上半身裸の屋台のオニーチャンは、ガパオを作るとすぐにクーラーボックスを並べ横になり、私の目の前で背を向けて昼寝を始めた。肩のところに「豪邸」とタトゥーが彫ってあった。字面が気に入っているのか、彼の夢なのかはわからないが、「豪邸」の文字を見ながら路上の屋台でかきこむガパオ・ライスは複雑な味がした。

ブリコの運営するハイランド・ジムがオープンする15:00までまだ時間があるので、久しぶりに、友人のマイラヤーが働くタイ・マッサージ屋があるラチャプラロップへ。受付でマイラヤーを指名して、ソファで待っていると、そこに現れたレディボーイは二度見、三度見しなければわからないほど、顔が変形したマイラヤーだった。

「コロナの間にドバイやブルネイにコンパニオンのアルバイトに行って、たくさん儲かったから、いっぱい整形したのよ。どう?奇麗になったでしょう?」

きっと複雑な顔で返事をしたんだと思う。「ああ、奇麗になったね。びっくりしたよ。誰だか分らなかったくらい」

顔中にシリコンを入れ過ぎて、ロボットのようになったマイラヤーに嫌味のつもりで言ったのだが、本人は至極ご機嫌で、

「そうでしょう?もっと奇麗になれば、もっと整形にお金をかけられるわ。究極の美を手に入れて、最高のお金持ちのオモチャになってみせるわよ」

マイラヤーの目指すゴールは到底理解できなかったが、オカマの人生の奥深さを少しだけ覗いたような気がした。

タクシーを手配してブリコのジムへ向かう。

プラップラという街には行ったことがなかったので、タクシーを使ったが、何のことはない、以前よく行っていた、ラムカムヘーンの上に位置する下町だった。

ローカルな複合施設の一階にハイランド・ジムはあった。100坪以上あるゆったりとしたスペースに、公式リングがあり、練習環境としては申し分ないジムだ。色の黒いトレーナーがいぶかしげに名前を聞いてきたので、自己紹介をすると、恐縮してブリコに連絡を取り始めた。応接ソファに通され、タピオカドリンクを出され、待つこと10分。

「ハイ、ケン!」

現れたブリコは景気がいいのか、以前あった時よりも恰幅がよくなっていた。彼と会ったのは、2016年5月にタイで開かれたWBCの表彰式以来だ。あの時はまだまだ英語が下手くそだったので、せっかく同じテーブルにいたブリコと話も弾まず、気まずい会食だったように思う。

フィリピン人のブリコは、タイ人女性と結婚したのを機に、タイでのボクシングビジネスに着手。ディスコやクラブのオーナーと提携して、派手なボクシング興行を手掛けるタイでも有数のプロモーターに成長していた。自前のジムも運営し、タイ在住の外国人を中心に選手を抱え、今やタイ屈指の新勢力になりつつある。

「ケン、俺はまだまだ大きなプロモーターになってみせる。チャンピオンも抱えてみたいし、ビッグマッチを手掛けるプロモーションもやってみたい。スポンサーの手前、魅力的なカードをどんどん組んでいかないといけない。俺がこれからビッグになるために、マッチメイカーとして、もちろん力になってくれるだろう?」

傲慢とも聞こえる物言いだが、上を目指す男のこういう傍若無人は嫌いじゃない。日本で、かつての師匠のジムに勤めていた時もそうだったが、上に立つ人間、それを支える人間、その役割の存在はしっかり学んだ自負がある。

ジムの前のテラスで、熱く夢を語るブリコの目は、実に力強かった。