拳を固めてサワディカップ30-2

2024年1月10日、9:15、福岡国際空港から、FD737便でバンコク、ドンムアン空港へ。

ドンムアン空港へ到着して、いつものSIMショップに行き、SIMを入れ替えてインターネット回線がつながると同時に、従業員から連絡があった。会社のバイクが壊れたとのこと。保険屋に連絡して、ロードサービスを手配し、従業員の送迎の段取りをする。代替えのバイクを準備するよう指示をして、何とか一件落着。到着直後にトラブルとは、今回の滞在に暗雲が立ち込める思いだ。とはいえ、ネット環境というのは本当にありがたい。LINEを使えば、世界のどこにいても、簡単にアクセスできるし、無料で電話までできる。極端な話、マニュアルとフォーマットを完璧に作り上げてしまえば、海外に滞在しながら日本での業務を管理できてしまうということだ。

実はここ数年、FX(為替取引)に精を出していた。投資のプロの先輩からみっちりと指導を受けて、この4年間、順調な数字をたたき出していた。このまま、取引利益を確保しながら、会社の現場管理を管理者に任せ、月に一度くらいの帰国でミーティング。空いた体で、タイや中国の深圳でボクシングの指導に明け暮れようと思っていた。このまま順調にカネが貯まれば、がんばる選手たちの為に、タイトルマッチのチャンスを作ってやれるプロモーター業にも進出してみたい。

タイでは、プールやトレーニングジム完備のホテルのようなタワーマンションが、15000B(60000円)ほどの家賃で借りられる。朝練やジムでの指導が終われば、コンドミニアムのプールサイドで、南国の日差しを浴びながら、為替取引。若いころに憧れた、日本と海外での二重生活がすぐ目の前にあった。

やっと、やりたいことが想い通りにできる。そう浮かれていた時にコロナパニック、急激な円安により、気を失うほどのどえらい大穴を空けてしまった。

保持している通貨があれとあれよという間に下がる。慌てて売り注文を出すが、買い手がいなければ取引は成立しない。資産が下がっていくのを自分の力で止められないというのは、本当にもどかしかった。テレビゲームのようにマウスのボタンを何時間も連続でクリックし続けて、やっと買い手が付き、ローカルエリアのビル一棟分くらいの赤字でストップしたとき、全身から汗が噴き出るほど安堵したのを一生忘れないだろう。

1990年3月17日、WBC&IBFスーパーライト級タイトルマッチで、最終12ラウンド、残り20秒までポイントをリードしておきながら、メキシコの英雄、フリオ・セサール・チャベスに大逆転のTKO負けを喫したメルドリック・テーラー(米国)の気持ちが、少しだけわかった気がした。

所詮、カネでカネを生むようなマネーゲームをする器ではなかったということだろう。そもそも初乗り500円の運賃で、必死に子供3人を育て上げた、個人タクシーの親父の倅だ。あの親父を見習って、自分らしく、身の丈に合った仕事をして、こつこつ頑張っていこう。

しとしと降る雨の中、空港隣の両替所に行き、日本円をタイ・バーツに交換。懐が落ち着いたところで、青島氏から電話。

「もうすぐドンムアン空港に着きます。このままスチャートさんのナコンルアン・ジムへ行きましょう」

空港直結の高架鉄道の駅で待ち合わせ、乗り換えしながらノンタブリーへ。

20代の頃、タイに来た時には、国鉄以外は電車なんてなかった。移動手段はバスやトゥクトゥク、タクシー、ソンテウ(乗合トラック)くらいしかなかった。それが今はどうだ。高架鉄道は、郊外まで延伸を続けているし、地下鉄も実に充実している。自家用車なんか持たなくても、街中の移動は公共交通機関で十分すぎるほどだ。国の成長をひしひしと感じる。

久しぶりに訪れたナコンルアン・ジムは、相変わらず立派なジムだった。

元WBC世界スーパーフライ級チャンピオン、シーサケット・ソー・ルーンビサイがにっこり笑って迎えてくれた。リングの上では、元WBCバンタム級1位、ナワポン・カイカンハが大晦日の敗戦直後だというのに、さっそく汗まみれになってミットを打っている。先日、比嘉大吾(市成)には負けてしまったが、捲土重来、世界のベルトを巻くのを楽しみにしている。

ジムの奥の事務所に入ると、スチャートさんがミネラルウォーターを出してくれた。

「今回は変なお願いをして悪かったね。急いでいたもので、うっかりバッグをホテルに忘れちゃったんだ」

「お安い御用です。この通り、バッグをお持ちしました」

そう言って、黒革のバッグを手渡すと、メガネをかけて、中のものを念入りにチェックし始めた。

「そうそう、このカギがなくて困ってたんだ。あれ、メガネが入ってないなあ」

そう言うスチャートさんが、メガネをかけているのがおかしかった。

ナコンルアン・ジムを出て、インタマラ・ソイ45のワタナ・ホテルへチェックイン。ひと息つく暇もなく、チャッチャイの待つサーサクン・ジムへ。

タクシーで向かっている道中、チャッチャイから電話。

「タイに着いたんだろう?今日はジムへ顔を出すかい?」

「今、向かってるよ」

「そうそう、言うのを忘れてたけど、ジムは移転したよ。前のジムから100mほどの距離だけどさ」

意味が分からなかったが、まあ、会ってから、いきさつを聞くことにしよう。

ジムに着くと、スケルトン状態で、隣には大きな日系スーパー、マックスバリュが建っていた。ラッサワイ市場の商業施設が広がっていて、チャッチャイのジムが、サイドに押しやられたような形になっている。元のジムから100mほど離れた武骨な空きテナントの、鉄製の階段を上がった2階部分にジムは移転していたが、チャッチャイ曰く、

「いいスポンサーがつきそうなんだ。ここよりも少し遠くなるけど、こんなテナントじゃなくて、新築するつもりだ。だから、ここは仮住まいのジムだ。でも、大きな試合がたくさん予定されているから、ケン、これまで通り、指導のほうも頼むよ」

ひと息つく暇もなく、IBF(国際ボクシング連盟)バンタム級5位のアヌチャイ・ドンスアがグローブをはめてスタンバイしている。

今年、一発目のミットはアヌチャイか。急いで練習着に着替えてミットをはめる。

「準備はいいか!」

チャッチャイが開始ゴング代わりのブザーを鳴らす。

構えたミットに、アヌチャイの鋭いジャブが激しい音を立てて炸裂したとき、

「ああ、やっぱり、おれには、これしかないんだなあ」

心の底からそう思った。