拳を固めてサワディカップ30-4
1月12日、8:00起床。最近、ローカル市場での朝食が楽しみで仕方がない。以前は、スクンビット界隈にホテルを取り、にぎやかなおしゃれな街で、朝っぱらからビールを飲みながら、おしゃれな朝食を摂るのが好きだったが、歳のせいか、最近は、静かなローカルエリアでのんびりするのが好きになってきた。50歳を境に、夜遊びもしんどくなってきたし、コロナ騒動のおかげで、早寝早起きがすっかり板についてきた。毎日21:00には就寝して、朝5:30に起床。覚えの悪い頭に鞭打って、英語とタイ語の勉強の毎日。もう少し若いころから、この暮らしをしていたら、語学の上達ももう少し早かっただろうに。この日もホテルから20分ほどの散歩を兼ねて、ムアンパトラ市場へ向かう。
今日の朝食は、カオ・カムー(豚足煮込みのぶっかけ飯)とコーン茶。しめて50B(200円)。レストランではまず食べることはできない屋台飯だ。これまで、いろんな屋台で食べてきたが、ここのカオ・カムーは今までで一番美味だった。愛想のいい屋台のおばちゃんとの楽しい会話も手伝って、最高の朝食だった。
今日も一日がんばれそうだ。
腹6分目のちょうどいい塩梅だったので、食後のプールも快適だった。あまりの体調の良さに、ついはりきって15m×20本と少し泳ぎ過ぎた。
シャワーを浴びてさっぱりしたところで、スティサン駅から地下鉄に乗りスクンビットへ行き、BTS(高架鉄道)に乗り換え、プロンポン駅近くのエリート・ファイトクラブ・ジムへ。教え子のトレーナー、ワシムが笑顔で迎えてくれた。ワシムはジムをすっかり任されてやる気満々。チーム・ワシムの選手たちも8人を数え、彼の指導を眺めていると、もうこちらが教えることがないほど、立派なトレーナーになっていた。
「ケン、今、日本人のアユムって選手をみっちり教えているところなんだよ。サウスポーのキビキビした、いい選手なんだ。もうすぐ来ると思うから紹介するよ」
ワシムの秘蔵っ子、フランス人のサウスポー、ジュリアーノ・ファントーンに同時に打つカウンター、外して打つカウンターを繰り返し指導する。さすが、ワシムの教え子、覚えが早く、鋭いパンチをこちらのミットに矢継ぎ早に打ち込んでくる。ぶっきらぼうな青年だが、練習には妥協がなく、指導についてくる姿勢は、貪欲極まりない。ボクサーたるものこうであってほしい。ヘラヘラとした愛想なんか要らない。ボクサーは試合で魅せるべきだ。まだ粗さの残る彼が、もう少しキャリアを積んだら、いい舞台を用意してあげたい。異国の地で頑張るフランス人、ジュリアーノ、彼の成功を祈る。
ジムの脇で煙草をふかしながら一服していると、
「こんにちは!ケンさんですよね。アユムです。よろしくお願いします!」
振り返ると、少女かと思うようなあどけない顔をした少年がニコニコ笑っている。
まだ19歳だというアユム君はキックボクシングをしながら、世界各国を回っているのだという。タイでボクシングとワシムに出会い、ボクシングの緻密さに惹かれ、ボクシング一本でいく決心をしたらしい。
「ワシムトレーナーの先生だと聞きました。この春にタイでボクシングのデビュー戦を控えているんです。リングの使い方とカウンターを教えるのが凄いと、ワシム先生から聞いています。すぐに着替えてきますから、僕にも教えてください」
短パン姿で現れたアユム君のふくらはぎのデカさに驚いた。ダッシュをふんだんに盛り込んだ走り方をしているのだろう。
この足腰なら、スッテプインを教えない手はないだろう。案の定、驚くほどのスピードで懐に入ってくる。ベタ足でのノシノシと歩くタイ人ばかり指導していたから、久しぶりの鋭いステップインにうれしくなってくる。ステップインからのサイドへのステップアウト、さらにサイドからのカウンターを、これでもかというくらい、しつこく教え込む。サイドへサイドへとポジションを変えるこちらのミットへ、実に落ち着いた表情で食らいついてくるアユム君に大器の予感しかしなかった。
指導が終わった後、ワシムに、
「おい、ワシム。アユムはどんどん走らせろ。あいつのシューズの裏に石灰の粉をつけなさい。リングが真っ白になったら、それだけあいつはポジションを変えて動き回ったということになる。パーフェクトな機動力を叩き込め」
「ちょっと待って」とワシムがメモに書き込みだした。相変わらずのメモ魔。この熱心さがあれば、近い将来、ワシムはチャンピオンを育て上げるだろう。
お互い頑張ろう。
ホテルに戻り、チェックアウト。タクシーを手配して、サーサクンジムへ。
この日もアヌチャイに右ストレートからの左フックの返しを徹底指導。押し込むパンチではなく、アゴを切るパンチ。この切る右パンチをマスターしたら、返しの左フックの切れ味が格段に増した。何度も何度もミット撃ちで繰り返 していると、ケータリング業者が、ジムの中にパーティ用のテーブルやバイキングの食事を用意し始めた。
「何事?」
そうチャッチャイに聞くと、
「ケンは今日、日本に帰るんだろう?少し前倒しだけど、春節の正月パーティを今からここでやろうと思ってさ。ケンの誕生日を兼ねたサプライズだよ」
仏頂面をひきつらせて不器用に笑っている。
ほどなくして、WBA(世界ボクシング協会)ミニマム級チャンピオン、タマノーン・ニョムトロン、元WBC(世界ボクシング評議会)ミニマム級チャンピオン、パンヤ・プラダブシー、新進気鋭のフライ級、キッティデック、お調子者のダオ、WBCバンタム級世界ランカーのペット。うちの看板選手たちが、ビール片手に続々と集まってきた。
ビールで乾杯し、派遣されてきた生バンドの演奏で、チャッチャイがマイクを取り、うっとりとカラオケを歌い始めた。その後ろでチャッチャイをからかうように、踊り始める選手たち。気が付けば、近所の住人達も我も我もとご相伴に預かりに来た。
リングの上では鬼の形相の仲間たちが、今、みんな眉を八の字にして、泣き笑いのように大爆笑している。
つかの間の楽しいひととき。明日になれば、また日常に戻って鬼になろう。このまま時間が止まればいいと思うほど、笑い転げた。
ラムルッカに吹く、生ぬるい風と夕焼け空が、天国のように心地よかった。