拳を固めてサワディカップ32-1

2024年4月18日、福岡国際空港からエアアジアFD736便で、一路ドンムアン空港へ。

コロナ騒動もすっかり収まって、海外への渡航もずいぶん楽になった。今、振り返ると、あの騒ぎは一体何だったのだろう。突然訪れた世界的な大パニックになすすべもなく、毎月変わるルールに振り回され、身をひそめるようにして、ひたすら現状の維持にしがみつく毎日だった。しかし、今こうして以前の状況に戻ってみると、当たり前にあること、当たり前にできることへの感謝を確認する、いい機会だったのかもしれない。

好きで始めた仕事やボクシング。あまりに長い間やり続けていると、欲や不満ばかりが頭をもたげ、当たり前のようにそれをできていることへの感謝がなくなってきていたような気がする。

若いころは、じたばたとしながら、いろんな仕事をしてきた。若さゆえ、寝る間も惜しまずに働き続け、毎日へとへとになりながらも、心技体がそろっていなかったのか、やる気や情熱が空回りして、なかなか思うような結果に結びつけることができなかった。やる気は満々なのに、どうして仕事にありつけないのか、焦りがマイナスに伝わっているのか、とにかく仕事にありつけないことがもどかしくて仕方がなかった。

コロナ禍の影響で、仕事も激減、ボクシングの興行や海外渡航も禁止され、抜け殻のような毎日を過ごす中、あれだけハードに、毎日仕事やボクシングに追われていた日々が恋しくて仕方がなかった。すべてをやめてリタイヤしてしまおうか。毎日のんびりと、昔の写真でも眺めながら枯れてしまおうか。そう考えたこともあった。

そう甘くはなかった。あれよあれよという間にコロナ禍は収束に向かい、以前と変わらない日常が戻ってきた。従業員を大幅に補充し、管理に追われる毎日、また、タイに渡って、選手たちと汗まみれになりながら指導する毎日が戻ってきた。いざ、日常が戻ってくると、リタイヤ気分はどこかへ吹っ飛び、また仕事やボクシングに没頭できる喜びでいっぱいだった。

やっとあの気ぜわしい毎日が帰ってきた。前を向いてこれまで以上にがんばろう。

ドンムアン空港で入国手続きを済ませ、バンコクの青空を見上げながらタバコを大きく一服。むせかえるタイに熱気を満喫していると、福岡のM会長から電話。6月16日、福岡での興行にタイ選手を3人招聘したいとのこと。ラウンド数、ウエイトなど諸々の条件を確認する。あわただしい仕事になりそうだが、忙しく仕事ができることへ感謝することを忘れずに、気を引き締めてがんばろう。

今回のホテルはバンサバーイ・ホテル。初めての街、ラップラオに予約した。4階建てのこじんまりしたホテルだが、インフィニティ・プールが最高だった。

ひと泳ぎした後、初めての街、ナック二ワットを散策する。閑静な住宅街なので、スクンビットやラチャダーと比べると、圧倒的に店や食堂が少ない。路地でちらほら見かける屋台や食堂も、タイ語表記のみ。通行人を見渡しても外国人は皆無だった。コンビニ、タイ・マッサージ、屋台の場所を確認してホテルに戻ると、チャッチャイから電話。

「バンコクには着いたかい?今はジムが建設中で練習ができないから、あちこちのジムに出稽古に行っている。今日はサーマート・パヤカルーンジムだ。以前行ったことあるだろう? サーマートに、今日ケンがタイに来ると話をしたら、久しぶりに会いたいから、ケンを呼ぶように言われてるよ。場所はわかるよな。じゃ、後で」

一方的にそうまくしたてると電話は切れた。相変わらず手短な話をする男だ。タクシーを手配してサーマート・パヤカルーンジムのあるサーイマイへ。

久しぶりに訪れたサーマートのジムは、相変わらず広々とした、貫禄のあるジムだった。友人たち数人とカードゲームに没頭しているサーマートに挨拶すると、

「ひさしぶりだね。チャッチャイがいつもお世話になっているようだね。彼のジムが完成するまで、いくらでもうちのジムを使ってもらって構わない。どうかいい選手をたくさん作って、チャッチャイの力になってやってほしい」

そういうと、またカードゲームの席に戻っていった。少し瘦せたかなと思ったが、相変わらずの色男だった。

ジムにはすでに、チャッチャイをはじめ、ペットやフン君が到着していて、シャドーボクシングをしている。早速、指導をしようと、彼らのほうへ歩み寄ろうとすると、チャッチャイからポンと肩を叩かれた。

「到着早々、ジムに来てもらったのは他でもない。まだ確定はしてないけれど、ペットに比嘉大吾(元WBC世界フライ級チャンピオン=市成)からオファーが来ている。以前、比嘉にはうちのヨードモンコンがやられているから、同じ相手に連敗するわけにはいかない。前に、ケンが立てた比嘉対策は完璧だった。今度は必ず勝てるようにパーフェクトにペットを仕上げてほしい」

真剣なまなざしでそう語った。

思いもよらない対戦カードに興奮した。まさか、こんなに早くリベンジの機会がやってくるとは思いもしなかった。

確かにヨードモンコンと立てた比嘉対策は、100%の自信があった。初回が終わった時点でこの試合はもらったと思った。

ただひとつ、誤算だったのは、比嘉のパンチの質を見誤ったこと。これは今でも悔いが残っている。今度こそ、比嘉をマットに這わせてみせる。加えて、比嘉はサウスポーが苦手だ。今度こそ完璧にペットを仕上げて、リベンジしてみせる。

シャドーボクシングを終えた汗だくのペットと目が合った。

これから始まるハードな毎日を覚悟している目だった。

降ってわいた大仕事に、身が引きしまる。