ベストパンチ19

1995年7月15日 米国 カリフォルニア州

WBC&IBFライトフライ級タイトルマッチ

挑戦者 サマン・ソー・チャトロン(タイ)KO7R 王者 ウンベルト・ゴンサレス(メキシコ)

1990年代前半、世界の軽量級は群雄割拠を極めていた。これまで中量級以上がボクシングマーケットの中心であったが、スーパースター、シュガー・レイ・レナード(米国)の引退、マイク・タイソン(米国)のスキャンダルによる不在、バルセロナオリンピックの金メダリスト、オスカー・デ・ラ・ホーヤ(米国)はまだキャリアアップの時期とスター不在。わずかにスーパーライト級のフリオ・セサール・チャベス(メキシコ)が孤軍奮闘していたが、メキシコ人のチャベス単体ではビッグマッチを本場ラスベガスで作ることが難しく、大物プロモーターのドン・キングやボブ・アラムは次なるスター候補の発掘に躍起になっていた。

そんな中、彼らが目をつけたのが軽量級。視点を変えてみると実に魅力的な王者たちが乱立していた。”精密機械”リカルド・ロペス(メキシコ)、”石の拳”マイケル・カルバハル(米国)そしてウンベルト”チキータ”ゴンサレス。いずれの王者もメインを張るに値する魅力的なチャンピオンたちだった。

1993年3月13日に行なわれたカルバハル対ゴンサレスの統一戦は歴史に残る大逆転劇でカルバハルに凱歌が上がったものの、軽量級のファイトマネーとしては初のミリオンを記録するなどプロモーターたちの思惑は大当たりした。

その後カルバハルに雪辱したゴンサレスが、次なるビッグマッチまでのつなぎに手頃な相手をと選んだ挑戦者がタイの一発屋、サマンだった。

サマンはタイの選手には珍しくムエタイの経験がなく、ハイテンポなフットワークから渾身の左右強打を叩きつける倒し屋。15勝(13KO)1敗1分で挑んだはじめての世界挑戦は、リカルド・ロペスのカウンターの前に2ラウンドで沈んだものの、その後11連勝(8KO)で復調。とはいえ下馬評では実績や格の違いで圧倒的にゴンサレス優位。絶望的なオッズの中、イングルウッドの番狂わせの館と呼ばれるグレート・ウエスタンフォーラムのリングに上がった。

2回、早くも波乱が起きる。ゴンサレスの打ち終わりに狙いすましたサマンの右フックが王者を捕らえるとゴンサレスはストンと尻餅をついた。ダメージこそないもののリングサイドには不穏な空気が漂った。

しかしそこはゴンサレス。3回以降、ファイトもアウトボクシングもできる王者がスイッチを交えながら変幻自在なボクシングを披露。前後の動きしかないツー・ステップ・ファイターのサマンはあっという間にこれに翻弄される。4回、めまぐるしく左右にスイッチする王者のスタイルに的を絞れないタイ人はボディを効かされロープからロープへ追い回される。5.6ラウンドにはそれぞれ強烈なボディブローでダウンを奪われ右目の腫れにより視界も奪われた。6ラウンド終了のインターバルでリングサイドドクターはサマン陣営にあと1ラウンドしか続行を許可しない、と通達。それほど勝敗の帰趨は歴然としており誰の目にもタイ人挑戦者万事休すと見られた。

続く7ラウンド。ゴンサレスはスター王者のメンツにかけて、ここまで弱った挑戦者をKOで仕留めなければとの思い。一方、後がないサマンは自慢の右強打にすべてを託して一発大逆転に望みを賭ける。その二つの思いはリング中央で激しく交錯し、ボクシング史上まれに見るアップセットへと展開していく。

左右の連打でフィニッシュを狙うゴンサレスとそのうち終わりに右強打で勝負をかけるサマン。勢いに乗る王者はパンチをヒットした後すかさずディフェンス。打ち終わりを狙うサマンの強打を空転させる。再び始まる打ち合い。やはりゴンサレスのパンチのみが炸裂しサマンは空転、決定的なダメージを重ねていく。何度目かの打ち合いの際、フィニッシュを狙ったゴンサレスはその後のディフェンスの準備をしなかった。フィニッシュブローであるはずの王者の強打に奇跡的に耐え、己の鍛錬を信じぬいたサマン渾身のベストパンチ、右ストレートがメキシコの英雄の顔面を打ち抜いた。

軽量級とは思えない破壊力の強打をジャストミートされキャンバスに吹っ飛んだ王者の眉間は斧で叩いたようにバックリと割れ、流れ落ちる鮮血がゴンサレスの顔をみるみるうちに真っ赤に染めた。朦朧としながら立ち上がったもののロープ際でハンマーの様な追撃打を無防備に浴びる王者をルー・フィリポ(米国)レフェリーが救い出してチャンピオンが交代した。

たった一つの磨き上げた己の武器を信じ続けたサマンの我慢勝ちだった。