ベストパンチ20

1981年5月23日 米国 ネバダ州

WBCスーパーウェルター級タイトルマッチ

挑戦者 ウィルフレド・ベニテス(プエルトリコ)KO12R 王者 モーリス・ホープ(英国)

そのニュースは衝撃とともに世界中のボクシング界に配信された。1976年3月6日、常勝王者、アントニオ・セルバンテス(コロンビア)がわずか17歳6ヶ月の挑戦者にWBAスーパーライト級王座を奪われたという。動画配信などない時代、その実力のほどは明らかではなかったが、このプエルトリコの怪童が本物であることが証明されるまでそれほど多くの時間は必要ではなかった。このタイトルを2度防衛した後、1階級上げ、これも名王者、カルロス・パロミノ(米国)から判定勝ちでWBCウェルター級王座を射止め、あっさりと史上最年少での2階級制覇。怪物の快進撃はどこまでも続くかに思われたが、2度目の防衛戦で特別な男がベニテスの前に現れた。モントリオールオリンピック金メダリスト、シュガー・レイ・レナード(米国)である。壮絶な試合の末に15ラウンドKOでベニテスは敗れるのだが驚くことにこれほどの挑戦者を前にベニテスはたった2週間しかトレーニングをしなかったという。
敗れはしたものの余力満々のベニテスは気を取り直してその後3連勝。さらに階級を上げ、イギリスが誇るサウスポー、ホープへの挑戦へと駒を進めた。

迎え撃つ29歳の王者ホープ。ロンドンをホームに着実に白星を重ね、ヨーロッパのスタンダード、英国タイトル、英連邦タイトル、欧州タイトルを危なげなくコレクションした後に、初挑戦こそ引き分けたものの、2度目のアタックで見事WBCスーパーウェルター級のベルトを巻いた。下半身はややぎこちないものの、ハイテンポなリズムとソリッドな左右の強打でここまで29勝(23KO)2敗1分の見事な戦績を誇る。対するベニテス22歳、40勝(25KO)1敗1分。

リングに上がった挑戦者はTV実況席に思いがけない顔を目にする。ゲスト解説者として宿敵、レナードが招かれている。雪辱を期するベニテスがこの試合にただ勝つのみではなくライバルとのリマッチに漕ぎ着けるに値する内容で、と思ったのは想像に難くない。開始前のレフェリーのグローブタッチを無視して王者を突き飛ばす。緊張感の中、初回のゴングが鳴った。

開始からベニテスの距離感が素晴らしい。鼻先三寸で王者のパンチをかわしつつ、的確なブローを叩き込む。サウスポーの定石である右回りが乏しいホープに思う様打たせるが、クリーンヒットは皆無に等しい。リングサイドのライバルに見せ付けるかのように極上のボクシングスキルでラウンドを支配していく。

一方ホープもスキルでは敵わないと踏むと旺盛なスタミナを盾に肉弾戦へと切り替える。右を打った後に体を預けに来る挑戦者に左アッパーを多用。これが功を奏し一方的なオッズに王者の意地で懸命に抗う。やや挑戦者有利のまま終盤戦に突入する。

ベニテスのボクシング自体は基本シンプルなもので、取り立てて目を見張るようなスピードや派手なコンビネーションといったものはない。天才の武器はただひとつ、「間のずらし」に尽きる。執拗なほどに右に体を沈め、右パンチを相手に警戒させる。警戒した直後、全く違うパンチを打つ。ボディに来るのか、顔面に来るのか、ストレートなのか、フックなのか、しかも左右どちらから来るのか全く相手に読ませない。若干22歳でこれほどの駆け引きを身に着けていることこそベニテスが天才と呼ばれる所以だろう。

10回終了間際、得意のフェイントからの右ストレートで王者からダウンを奪う。幸いダメージは軽い。
ゴングに救われた王者は続く11回、決死の覚悟で挑戦者を危険なロープ際に誘い起死回生の一発を狙うがこれが仇となり、リングサイドの宿敵へのリベンジに燃える挫折を知った天才、ベニテスの凶悪な意図を持ったベストパンチの餌食になる。

12回、ロープを背にしたホープに挑戦者は5種類のフェイントを実に自然に仕掛けた。劣勢の悲しさ。王者はこのフェイントすべてに反応してしまい、ボクサーの本能から己が最も信じるパンチ、左ストレートを打ってしまう。これこそベニテスが打たせようとしたパンチ。満を持してプエルトリコの天才は全体重を乗せた右フックを黒人王者のアゴに打ち抜いた。

長々を伸びてしまった王者にカウントは必要なく、戦慄の表情でレナードが見守る中、史上最年少のトリプルクラウンが誕生した。