ベストパンチ23

1986年8月24日 東京 両国国技館

WBCスーパーライト級タイトルマッチ

挑戦者 浜田剛史(帝拳)KO1R 王者 レネ・アルレドンド(メキシコ)

常軌を逸した執念が爆発した。
小学生の頃、兄の影響でボクシングを始めた浜田。アマチュアでインターハイ王者を経てプロ入り。4回戦時代に伏兵、今井房男(楠三好)に判定負けしたものの、以後はKOの山を築く。15連続KOは現在も破られていない日本記録。

大場政夫以来のチャンピオン輩出が悲願の名門、帝拳ジムも多大な期待を浜田に寄せていたが、そんな陣営を悪夢が襲う。
あまりにもパンチが強すぎるがためにサウスポーの主武器である左拳を4度骨折。練習中にサンドバッグを打っても砕ける始末。どんなに手術を重ねても、当時最先端の金属プレートを入れても打てば折れる。試合から遠のきランキングからも名前は消えた。重ねて若手の台頭。悲運のボクサーとして終わりかけた浜田だが決して諦めることはなかった。

左を骨折した状態でも一日も練習を休まない、愛読書の宮本武蔵にならい、左がダメなら右の強化を、と勤め先の倉庫の鉄柱に素手で右拳を叩きつけ鍛え上げる。藁をも掴む思いで名前も変え、方位学にさえすがり転居もした。いびつに変形した右拳のみで戦い続けテクニシャン友成光(新日本木村)から日本タイトルを奪取。東洋タイトルも手に入れどうにか世界戦線に復活した。日本中がバブル景気に沸き返る中、時代錯誤なストイックさで浜田は世界戦のリングに辿り着いた。もう骨折するわけにはいかない。もうブランクは許されない。渾身の左強打は世界戦でしか打たない覚悟だったという。

対する王者アルレドンド。メキシコはアパチンガンで極貧時代を過ごし、兄とともにボクシングでの貧困からの脱却を誓う。兄リカルドは一足先に世界のベルトを巻き、柴田国明(ヨネクラ)や小林弘(中村)と熱戦を繰り広げたテクニシャン。レネもその才能を見事に引き継ぎ、1986年5月5日、時の王者ロニー・スミス(米国)から右ストレート一発で5回KO勝ちを収め戴冠。180センチを越す長身から繰り出される左右は一撃必殺の破壊力。ここまで37勝(35KO)2敗、一方浜田ここまで19勝(18KO)1敗1NC。国技館のリングは強打者同士のスリルにあふれていた。

1ラウンド、開始ゴングと同時に駆け込んだ浜田が長年温存していた左ストレートを打ち抜く。あまりの強打に王者の腰が引ける。歴戦のアルレドンドはすかさずカウンター戦法に切り替える。浜田がステップインした際にコンパクトな左フック。こめかみを打ち抜かれた浜田がつんのめりロープから上体をはみ出す。浜田の述懐。

「あの左フックは本当に効いた。こんな選手と最終回まで立っていられるとは到底思えない。お互い無事では済まないだろう。よし、この試合、最後だなと」

浜田が早くも勝負をかけた。10cmも隙間のないほどの接近戦でアルレドンドをロープに押し付ける。背の低い浜田はコンパクトな連打を打ち込むがリーチの長いチャンピオンは自身の両手を持てあます。細かい連打でロープ伝いに逃げる王者を追い回すがまだ強打を打ち込むチャンスはやってこない。アルレドンドに鼻血がにじむ。

王者の強打はある程度の距離を必要とする。ここまで密着しては打つスペースがない。ロープに押し込まれながらアルレドンドはわずかな隙間を虎視眈々と狙っていた。

2分40秒過ぎ、実況のアナウンサーが奇妙なアナウンスミスをする。まだ1ラウンドなのに「残り試合時間20秒!」

挑戦者が恐ろしい賭けに出る。距離がほしいアルレドンドに対して、密着した体をすっと後ろに引く。わずかに出来た隙間。機を見るに敏、チャンピオンがすかさず右のショートストレートを繰り出した。そのアルレドンドのアゴに炸裂したベストパンチは積年の思いのこもったいびつに変形したあの右フックだった。

垂直に崩れロープの最下段にバウンドした王者は立っているだけの失神状態。そこに左・右・左・右の4連打。射殺されたかのように後頭部をキャンバスに打ち付けて倒れた王者はピクリとも動かない。座布団が飛び交い、号泣の観客が総立ちとなる中、ニュートラルコーナーで呆然と立ち尽くす挑戦者。あまりにも長い遠回りを強いられた浜田の世界初挑戦はわずか3分9秒。そういうふうにしてWBCスーパーライト級チャンピオンは交代した。

「長かった。とにかく長かった」インタビューに対し、そううわごとのように繰り返したのが印象的だった。