ベストパンチ24

2002年6月8日 米国 テネシー州
WBC&IBFヘビー級タイトルマッチ

王者 レノックス・ルイス(英国)KO8R 挑戦者 マイク・タイソン(米国)

1986年、ヘビー級にセンセーションを巻き起こした怪童マイク・タイソン。ニューヨーク・キャッツキルの不良少年は名伯楽、カス・ダマトに見初められ、ボクシング界屈指の篤志家、ビル・ケイトンや名トレーナー、ケビン・ルーニーと盤石のチームを組み、その短躯を逆に活かした革命的なスピードボクシングを作り上げた。

デビューから僅か1年8ヶ月、トレバー・バービック(米国)を戦慄の2回KOに下して史上最年少のWBC世界ヘビー級王座に駆け上がった時弱冠20歳5ヶ月。戦績は29戦全勝(27KO)。低迷を続けていたヘビー級シーンに彗星のように現れたニュースターにマスコミは「世界はこの夜明けを待っていた」と絶賛を惜しまなかった。

以降、WBA・IBFのベルトも吸収しながら9度の防衛を果たしたタイソンだったが、栄光は長くは続かない。結婚・離婚、慢心からの練習不足、そして何よりボクシング界の必要悪、ドン・キングの接近。金の亡者キングは巧みな掌握術で一枚岩のチームタイソンを難なく破壊し、若き「金のなる木」を易々と懐柔した。タイソンは生前、ダマトが語っていた「最も手を組んではいけない男」と契約書にサインをした。当然、緻密なまでに築きあげられたボクシングは次第に下降線をたどり、1990年、真冬の東京ドームで伏兵、ジェームス・ダグラスに42-1の掛け率を跳ね返され、10回KOで無残な王座転落。

タイソンの凋落は終わらない。再起後、連勝を続けるも、レイプ事件を起こしマリオン郡刑務所に収監。4年2ヶ月のブランク後、WBC王座に復活するもイベンダー・ホリフィールド(米国)の真摯な覚悟の前に11回KO負け。リマッチでも「世紀の耳噛み」で3回反則負け。もはや並のファイターに成り下がっていた。

1988年ソウルオリンピックで金メダルを獲得、鳴り物入りでデビューしたルイス。タイソン王朝が続く中、英国・欧州・英連邦タイトルをコレクション、タイソンへの挑戦を伺っていたが思わぬタイソンの失脚。気を取り直してドノバン”レーザー”ラドック(米国)との王座決定戦で電光石火の2回KOでWBC王座に就いた。196cmの長身から繰り出される右強打は圧巻。オリバー・マッコール(米国)やハシム・ラクマン(米国)に不覚の一発を浴びて王座から陥落することもあったが再戦では完璧KOできっちりリベンジ。タイソンなき後、ヘビー級シーンを盛り上げる。

王者のままの引退も画策したが、ルイスにはやり残した仕事があった。盤石の強さを誇るルイスだが、世間は「タイソン不在ゆえの王者」以上の評価を与えない。一方、カムバックロードを全勝で突き進むタイソンも完全復活を証明するには、自身の不在時にヘビー級の混沌をまとめ上げたルイスと同じリングに上る必要があった。

1R、タイソンのキレがいい。全盛期を思わせるような鋭いボクシングでルイスに襲いかかるが、王者は長身を利して180cmのタイソンを抱え込んでクリンチ。リスクを負わず慎重にジャブを突く。

タイソンの猛攻に対して怖気づき下がってしまってはハリケーンの餌食になる。勇気を出して受け止めるタイソン攻略法はホリフィールドが証明済み。メンフィス・ピラミッドアリーナの大観衆のブーイングに耐えながらルイスは真っ向勝負を根気よく避ける。

ルイスには名勝負と呼ばれるものがない。その恵まれた体格ゆえ、リスクを負う必要がなかった。必然的にそのファイトスタイルは観客の感動・共感を呼ばず、どんなに勝ち続けてもピープルズ・チャンプ足り得なかった。

そのルイスがボクシング人生最後の仕事に取り掛かる。

このままアウトボクシングに徹すれば判定勝ちは間違いない。危険な勝負を避けポイントアウトするか。最強の称号を得るため真っ向勝負を仕掛けるか。英国の誇りは後者を選んだ。

8R、ルイスが至近距離でパンチを交錯する。1分半過ぎ、左アッパーからの右の打ち下ろしでダウンを奪う。
再開後、手負いのタイソンが勝負をかけに来た。タイソンの攻撃の礎は恐ろしいまでの素早いステップイン。相手の右ストレートを左にスリップして躱しざま対戦相手の長身に潜り込んでの左フック。心の師、ダマトと数えきれないほど繰り返した反復。これまであまたの対戦相手が恐れおののいたノックアウトの方程式。

そのタイソンのヘッドスリップにルイスはキャリア史上ナンバーワンのベストパンチ、右フックをカウンターした。ぐしゃりとキャンバスに崩れ落ち、テン・カウントを聞くタイソン、それを尻目に両手を高々と上げるルイス。

鮮やかなコントラストだったが、同時にそれは二人のキャリアの終焉でもあった。