ベストパンチ25

1993年3月20日 タイ ロッブリ
WBCフライ級タイトルマッチ
王者 ユーリ・アルバチャコフ(協栄)TKO9R 3位 ムアンチャイ・キティカセム(タイ)

ボクシングの最も基本的なコンビネーション、ワン・ツーパンチの素晴らしさをまざまざと見せ付けた一戦。

1980年後半、ゴルバチョフによってすすめられたペレストロイカによってアメリカと並ぶ大国、ソビエト連邦の政情が大きく変化。これによって極端な共産主義国家の旧ソ連のアスリートたちのプロ活動が事実上解禁された。とはいえロシア国内での興行が成立するほど社会情勢は安定しておらず、有能なアマチュアボクサーたちはその活路を海外の舞台に見出すことになった。そんな中、日本屈指のプロモーター、協栄ジムの金平正紀会長はヘビー級ボクサーを中心とする数名の旧ソ連ボクサーを日本に招聘することにした。当時の日本ボクシング界は世界戦21連敗を喫するなど低迷を極めており、アマチュアで実績のある彼らを日本ボクシング界の起爆剤として売り出そうと目論んでいた。しかしその目論見はいい意味でも悪い意味でも裏切られることとなる。最も期待していたヘビー級ボクサーたちは生活の心配がなくなったためすっかり向上心をなくし世界レベルに到達する前に脱落。そのかわりさほど期待されていなかった軽量級のユーリが爆発的な快進撃を続け、日本タイトルを初回KOで易々と獲得。12戦全勝(11KO)のパーフェクトレコードで当時の2階級制覇王者、ムアンチャイに挑む。米国の俳優、ミッキー・ロークの茶番のような試合の前座に組み込まれた屈辱の舞台ではあったが、ユーリはメインを完全に食う見事なノックアウトで両国国技館を総立ちにさせWBC世界フライ級王座を射止めた。

初防衛戦ではKOこそ逃したものの、強豪、陳潤彦(韓国)を完全シャットアウト。迎えた2度目の防衛戦は復讐に燃える前王者、ムアンチャイ。「前回の試合では油断があった。今回は地元での試合。今までで最高の仕上がりだ。前回でユーリの弱点はわかった。KOでベルトを取り返す」と意気揚々。僅か7戦でIBFライトフライ級を制し、タイのレジェンド、ソット・チタラダをノックアウトして2階級制覇を成し遂げたシャムの俊英はタイトル奪回を誓っていた。

タイの選手は自国での世界戦に驚異的な勝率を誇る。国王への凄まじいまでの忠誠心、興行全てを巻き込んだタイ選手への肩入れ。ボクシング界では有名な計量スキャンダル。それら全てが相まって、タイでの世界戦で勝利するのは鬼門とされていた。

1R、ムアンチャイの立ち上がりが素晴らしい。スロースターターのタイ人がぐいぐいとプレッシャーをかける。王者の鋭いジャブをかいくぐりユーリのお株を奪う右クロスをガンガン叩きつける。判定まで行く気はないようだ。対する王者も完璧な間合いで致命傷を回避、慎重に必殺のカウンターのタイミングを探るのだが圧倒的な攻勢点でポイント上はムアンチャイに遅れをとる。

7回、事件が起きる。攻めが雑になったムアンチャイにユーリの鋭いワン・ツーが炸裂。もんどりうって倒れたムアンチャイにフィニッシュを狙った王者がラッシュを仕掛ける。このままKOでユーリの防衛かと思われた時、あろうことか30秒早くラウンド終了のゴングが鳴る。チャンピオン側のコーナーで不正を咎める怒声が飛び交う中、チャンピオンだけが冷静だった。続く8回、逆転を狙うムアンチャイを冷静にいなし、完全にタイミングをつかんだ9回、円熟王者のベストパンチがタイ人の野望を打ち砕いた。

ユーリのボクシングはトップアマチュアらしくワン・ツーを主体としたボクシング。ワン・ツーしか打てないといってもいい。相手もユーリにはそれしかないとわかっている。なのにそのワン・ツーでこれほどKOを量産できるのはその優れた距離感にある。

7回のダウンでポイントを取り返されたと認識したタイ人はこの回勝負を賭けにきた。ムアンチャイがステップインしたのと全く同じ距離を王者がバックステップ。そこで繰り出されたユーリのワン・ツーは距離・タイミングともに完璧なものだった。

完全なグロッギー状態ながら驚異的な執念で立ち上がるものの、ロープ際でもう一度、後退するところにさらにもう一度ワン・ツーを狙い撃ちされダウンを追加。プララメスアンスタジアムが悲鳴に包まれたところでリチャード・スティール(米国)レフェリーがもはやこれまでと殺戮劇に幕を下ろした。

シンプルながらこの後9度まで防衛のテープを伸ばすユーリのボクシング、それは職人技と言っていいほど磨き上げられた紛れもない一級品だった。