ベストパンチ28

1991年5月18日 韓国 ソウル
WBCフライ級タイトルマッチ
王者 ムアンチャイ・キティカセム(タイ)TKO12R 挑戦者 張正九(韓国)

韓国のスーパースター、張正九の壮絶なラストファイト。

1980年代、韓国ボクシング界は隆盛を極めていた。東洋タイトルは軒並み韓国ファイターが王座に君臨し、強打者、白仁鉄や朴鐘八、アマチュアエリート、朴賛希などが世界王者に輝き、世界には一歩及ばなかったものの、崔忠日など、団体が乱立する現在なら間違いなくチャンピオンになったであろう実力者がキラ星のように輩出された。折しも88年のオリンピックがソウルに決定。加えて業界自体も全浩然や金賢治などの大物プロモーターがしのぎを削りアマチュア・プロ共に韓国ボクシング界は最盛期を迎えようとしていた。
しかし、韓国ボクシングコミッションは当時まだ層も薄く団体としての地位が確立していなかったIBF(国際ボクシング連盟)を承認。名選手を排出する一方、世界王者として疑問符のつくチャンピオンを多数粗製濫造した負の時代でもあった。

そんな中、老舗団体WBCで世界に名を轟かせる名王者がライトフライ級に誕生する。”韓国の鷹”張正九である。
デビュー以来18連勝で世界に挑むものの、これはパナマのテクニシャン、イラリオ・サパタに判定で逃げられた。しかし、半年後のリマッチではサパタを滅多打ちにしてわずか3ラウンドでKO。世界の頂点に登りつめた。サパタ敗れるのニュースは世界中を驚かせたが、張の快進撃は止まらない。来る者は拒まず、世界中の強豪の挑戦をことごとく退け防衛を重ねること15度。具志堅用高(協栄)の記録を易々と塗替え、日本期待の強打者、大橋秀行(ヨネクラ)の挑戦も難なくKOでクリア。金字塔を打ち立てた後、韓国の鷹は幸せな結婚を経て、悠々自適の引退を選んだ。

だが、好事魔多し。事業に失敗、家庭にもヒビが入った元王者は復活を宣言。王座奪還を目指したが、ウンベルト・ゴンザレス(メキシコ)やソット・チタラダ(タイ)らビッグネームの王座に果敢に挑んだが、ブランクの影響もあり、僅差の判定負けで涙をのむ。3度目の正直を胸に期す張を挑戦者に選んだ時の王者がシャムの俊英、WBC世界フライ級王者ムアンチャイだった。

わずか7戦目でタシー・マカロス(比)からIBFライトフライ級王座を奪い、アメリカのミリオンダラーファイター、マイケル・カルバハルに7回KOで屈したものの、同国人の天才、ソット・チタラダを完全KOで難なく2階級制覇。思い切りの良い強打者でオールマイティファイター・張の2階級制覇の前に立ちふさがった。

1ラウンドから張が快調に飛ばす。ムエタイ上がりでどっしりと構えるムアンチャイを翻弄するかのように前後左右の立体的なステップワークと小気味いい連打で圧倒。その姿は鷹の名にふさわしい。全盛期の張が帰ってきた、と満員の観衆も手拍子で後を押す。

5ラウンドには鋭く飛び込んだ左フックで王者を倒す。立ち上がったタイ人に対して機を見るに敏、接近戦からの右アッパー・左フックでダウンを追加。中盤、ムアンチャイの強打を浴び、一進一退の試合となるが、11ラウンド、執念の鬼と化した張がワンツーでまた倒す。3度ダウンを喫した王者よりも限界を超えて攻めまくった挑戦者の疲労のほうが深刻ではあったが、韓国の英雄の返り咲きはもう目の前だった。

迎えた最終回、狂ったように撃ちまくる張。判定にもつれ込んでも王座交代間違いなしと見られた残り1分、ムアンチャイがロープ際でこれまでよりも低く膝を落とし、がむしゃらに、しかし無防備に前に出る張のアゴを左フックで鋭く抉った。

この渾身のベストパンチを浴びた元王者は足をもつれさせながらリング上を怪しく遊泳。すかさず体を入れ替えたタイ人が追撃の右を打ち込むと張は大の字にダウン。絶対に立ち上がれない倒れ方だったが、気迫のみで張は立ち上がる。続行後、さらに右・左と狙い撃ちされ鷹は再び撃ち落とされる。大観衆の悲鳴を背に再び立ち上がるが足元はおぼつかず、レフェリーの胸に倒れこんだところで歴史に残る名選手のキャリアが終了した。

返り咲きこそならなかったが全盛期の張正九のボクシングは当時の韓国自体の急成長と同じく圧巻の勢い。その勇姿は永遠に色褪せることはない。