ベストパンチ33

2007年7月7日 米国 コネチカット州

IBFフライ級タイトルマッチ

挑戦者 ノニト・ドネア(比国)KO5R 王者 ビック・ダルチニアン(豪州)

フィリピンはボホール州で生を受けたドネア。後のスーパースターは幼少の頃は喘息持ちでいじめられっ子だったという。
11歳の頃、一家はアメリカに移住。ここで68勝8敗という優秀なアマチュア戦績を収め、大学からの熱烈な推薦入学を蹴ってプロ入り。
2戦目に判定負けを喫するも、以降はキレのある強打とスピード満点のボクシングで勝ち星を重ねる。WBOアジア太平洋王座、NABF王座をコレクションしながら世界戦線へと歩を進めてきた。後に4階級を制覇するドネアだが、主戦場がアメリカであり、選手層も厚かったため、一部の玄人筋を除くと後の快進撃を予想する声は多くはなかった。

迎え撃つ王者、ダルチニアン。1976年1月7日、アルメニア出身、”レイジング・ブル(怒れる猛牛)”の異名通り、サウスポースタイルからの豪快なボクシングでシドニーオリンピックにも出場。準々決勝まで勝ち進み、将来を嘱望されながら2000年、オーストラリアからプロデビュー。元3階級王者、ジェフ・フェネック(豪州)の指導のもと、プロの戦い方に磨きをかけ、2004年12月16日、技巧派王者、イレーネ・パチェコ(コロンビア)を豪快に11回KO、第16代IBFフライ級王者に輝いた。このタイトルは6度防衛(5KO)の圧倒的な強さでフライ級最強と囁かれつつ、全盛期を迎えたダルチニアンは7度目の防衛戦の相手に若きフィリピーノを選んだ。ここまで王者28戦全勝(22KO)、挑戦者17勝(9KO)1敗。

初回、ドネアのステップが実に軽い。スイッチを交え左右に位置を変えながら軽快にジャブをヒット。王者は極端な半身に右肘をせり出した独特の構えでプレッシャーをかける。ダルチニアンのフリッカー気味のジャブに挑戦者は左フックを合わせるがチャンピオンは上体の動きでこれを流し切る。

3ラウンド、猛牛の突進を止めようとドネアがボディにストレートを集めだす。サウスポーに対して実に有効なこのパンチだが、チャンピオンの前進は止まらない。師匠フェネックを思わせるエネルギッシュなボクシング。その王者がステップインした瞬間、小さく振った挑戦者の左フックがカウンターでヒット。ダルチニアンの足がもつれる。タイミングが少しずつ合ってきた。

迎えた5回、ダルチニアンの5度目の防衛戦で判定負けした兄、グレン・ドネアがリングサイドで見守る中、”フィリピーノ・フラッシュ”ドネアの閃光のようなベストパンチが炸裂する。

ドネアの左フックが距離・タイミング共に合ってきているのを察知した王者は、これまでよりも重心を後ろに修正しながら激しく前進。ビッグパンチを上下に散らしながら圧力を強め、挑戦者を追い回す。

ドネアの左フックは実に変化に富んでいる。ロング・ミドル・ショートとあらゆる距離に応じたナックルの返しで対戦者をマットに沈めてきた。ナックルの返しに重点を置いているため、右肩を入れるモーションを省略して鋭くアゴを捉えることができる。

ロープを背にした挑戦者に、ここがチャンスとダルチニアンがワン・ワン・ツーのタイミングでステップイン。この判断も実に正しい。しかし、フィリピーノの左フックはその思惑をも上回って、チャンピオンのアゴを打ち砕いた。

銃で撃たれたかのようにはじけ飛び、キャンバスに叩きつけられたチャンピオンは朦朧としながら気丈に立ち上がるも、ふらつきながらリングを遊泳した後、再びキャンバスにダイブ。レフェリーは迷わずKOを宣告。チャンピオンが交代した。