ベストパンチ34
1986年1月18日 タイ バンコク
WBCスーパーバンタム級タイトルマッチ
挑戦者 サーマート・パヤカルーン(タイ)KO5R 王者 ルペ・ピントール(メキシコ)
タイが誇る天才、サーマートの初戴冠劇。タイの定番コース、ムエタイからの転向組であるが、そのムエタイキャリアが素晴らしい。ラジャナムダンと権威を二分するルンピニースタジアムでミニマム級・ライトフライ級・スーパーフライ級・フェザー級の4階級を制覇。練習嫌いで遊び人のサーマートではあったが、それでも無人の野をいくようにムエタイで敵なしを誇った後、より大金が稼げる国際式ボクシングに1982年8月転向。そのまれに見る才能が開花するのに多くの時間を要することはなかった。
デビュー戦でなんと元WBCライトフライ級王者、同国人のネトルノイ・ボラシンに判定勝ち。その後も連勝を続け、11戦全勝(6KO)で初の世界挑戦を迎えるが、その相手もまたとんでもない怪物だった。
メキシコからやってきたのはバンタム級の伝説、ピントール。メキシコ州郊外の貧しい家庭に生まれ育ち、幼少の頃は家計を助けるために路上でアイスクリームを売っていたという。その後、タフな街で己の身を守るためこのスポーツに足を踏み入れ1974年3月プロデビュー。同じくバンタム級の名王者、カルロス・サラテ(メキシコ)らと共に切磋琢磨。厳しいマッチメイクと減量下手のため、時折黒星を喫することもあったが、重厚なキャリアを積み重ね、42戦目に世界に初アタック。奇しくも迎え撃つWBCバンタム級王者は同門、サラテだった。
クロスファイトの末、判定でKOスペシャリスト・サラテを下したピントールは安定感抜群の試合でこれを8度防衛。日本が誇るカウンターパンチャー、村田英次郎(金子)やテクニシャン、ハリケーン照(誠和石川)の挑戦も退けたあと、このタイトルを返上。減量苦もあったため、1階級上のミスター・ノックアウト、ウィルフレド・ゴメス(プエルトリコ)のWBCスーパーバンタム級王座に挑む。大激闘の末、14回KOに討ち取られたものの、その後ゴメスが返上した王座に就いていた若武者、ファン・キッド・メサのタイトルに再チャレンジ。これを大差の判定勝ちで2階級制覇。ベテランの域に達したピントールの底力に世界が驚愕した。天国と地獄を噛み締めて積み上げてきたキャリアはここまで64戦54勝(40ko)8敗2分。
初回から緊張感のある立ち上がり。お互いクリーンヒットのない静かな立ち上がりだが、サーマートのボクシングが一級品であることは一目瞭然。フィギュアスケーターのようななめらかな足さばきでリングの中を滑るようにステップを切る。サウスポーの定石の右回りはせず、ジャブを打っては左回り、ピントールが右を強振してくると、クイックなステップで右に回りながら右フックを引っ掛ける。カンだけで試合を作っていくそのボクシングは驚嘆に値する。
減量に失敗した王者は、スタミナに不安を抱えている。2回、圧力を強め挑戦者の足を止めようと右ストレートをボディに執拗に繰り出す。この執拗さがメキシカンの真骨頂。一方、タイ人は老雄の踏み込みを冷静に読みきったのか、実に効果的なフェイントを多用し始めた。メキシカンの距離、呼吸、間全てを最終確認するように。
迎えた5ラウンド序盤、”暁の虎”サーマートがジャブを強く打ち始める。ピントールの追い足がこの時一瞬止まる。同時に飛んでくるカウンターがないことを確信した挑戦者が左サイドへの小さなフェイントでピントールを誘った直後、右サイドからベストパンチのワン・ワン・ツーを完璧なタイミングで打ち込んだ。よほどのスピード差なのか、この瞬間、タイ人は王者の真横に位置取っていたほど素晴らしいステップインだった。
背中からキャンバスに叩きつけられたピントールは10カウントの間、ピクリとも動けず王座陥落。脅威の天才児、サーマートの腰に緑のベルトが燦然と輝いた。