ベストパンチ36

2000年10月11日  神奈川 横浜アリーナ

WBAライト級タイトルマッチ
王者 畑山隆則(横浜光) KO10R 14位 坂本博之(角海老宝石)

「坂本選手はパンチがあるんですよ。僕はパンチがないんですよ。そして坂本選手は打たれ強いんです。で、僕は打たれ弱いんですよ」
「だから僕が勝つんですよ」

抜群の人気、観客動員数を誇るこの世紀の一戦を前に、王者、畑山は記者のインタビューにこんな意味深なコメントをした。

青森の野球少年は持ち前の運動神経で、投げれば130km/hの速球投手、打っては4番を張るチームの大黒柱。将来はプロ野球選手を夢見ていたという。
部活が終われば暴れん坊の不良少年として名を馳せ、近所では評判の悪童だった。高校に進学し、野球部に入るものの、人間関係でうまく行かず、野球部をあっさりと退部、ついでに学校まで辞めてしまい、放蕩の日々を過ごす。そんな中、テレビで見た同じ不良少年上がりのWBC世界バンタム級王者、辰吉丈一郎(大阪帝拳)の試合を見て、一念発起。アルバイトで貯めた8万円を握りしめ、弱冠16歳で単身上京。大手ジムに通い始めるものの、アマチュア経験もない無名の若者の秘めたる才能に目を留めるものはなく、その他大勢としてくすぶる毎日が続く。

先の見えない毎日の中、畑山は韓国人の名伯楽のいるジムへと移籍し、相性も良かったのか、デビュー以来連戦連勝。全日本新人王を難なく獲得。日本タイトルを飛び越して東洋太平洋王座を電撃の2RKOで強奪。今風のルックスと豪快なKOでNO,1ホープの座に瞬く間にたどり着いた。

初めての世界挑戦こそ韓国の虎、崔龍洙と引き分けで王座奪取はならなかったものの、翌年のリマッチで見事王座獲得。だが、減量苦とモチベーション低下などで冴えない初防衛をクリアした後、続く2度目の防衛戦ではラクバ・シン(モンゴル)の右強打の前に壮絶にキャンバスに沈められ王座陥落、同時に引退表明。この時畑山23歳。

坂本のストーリーは壮絶の一言に尽きる。幼少の頃、生活苦から弟とともに児童養護施設に預けられ、幼い兄弟は生きるために川で釣ったザリガニを食べ盗みを働くこともあったという。時代錯誤のような貧困をくぐり抜けた少年は児童養護施設のテレビで見たボクシングに強く惹かれ、ボクサーになることを固く心に誓う。

デビュー後の坂本の快進撃は圧巻だった。左右の強打を武器にKOの山を築きついた異名は「平成のKOキング」。屈指のテクニシャン、日本ライト級王者リック吉村(石川)を豪快に9回KO。元WBAスーパーライト級王者、ファン・マルチン・コッジ(アルゼンチン)の前に苦杯を喫したが、東洋太平洋王座をコレクションした後、本場アメリカでの試合も順調に消化。ロジカルコンテンダーとして満を持してWBCライト級王者スティーブ・ジョンストン(米国)に挑むが超絶テクニックに自慢の強打を空転させられ無念の判定負け。ジョンストンから王座を奪ったセサール・バサン(メキシコ)との強打者対決ももうひとつ噛み合わずまたも判定負け。飽くなき突進を繰り返す坂本に陣営も応え、WBAライト級王者ヒルベルト・セラノ(ベネズエラ )への三度目の挑戦をセッティング。初回、二度のダウンを奪うものの、目の負傷による5ラウンドTKO負け。いつしか坂本に「不運」の二文字がつきまとう。

電撃カムバックした畑山にいきなりの世界挑戦が決まった。相手はセラノ。減量苦から開放された畑山は5度のダウンを奪う圧巻の8回KOで悲願の2階級制覇。ここでも坂本と畑山の運の差を感じずにはいられない。日本人ライト級最強を証明した畑山だったが、世間では「坂本のほうが強いのでは」の声が根強く残っていた。この声は新王者をいたく刺激し、王座獲得のリング上で「次は坂本だ」と異例の挑戦者指名。こうして日本人同士のメガ・ファイトが実現した。

戦前の予想は「スピードとテクニックで畑山」「打ち合えば強打の坂本」が圧倒的。しかし、開始ゴングとともに、坂本の豪打に畑山が真っ向から応じている。赤コーナーのセコンドがざわめきあわてた。
「リスクを負うな」
毎ラウンド、インターバルにセコンドは王者に指示するが強気の王者はうなずかない。ラクバ・シンに沈められた畑山と名だたる名王者たちを及び腰にさせてきた坂本のメガトンパンチ。誰の目にも畑山の戦法は無謀に見えた。

行き詰まる打撃戦が延々と繰り広げられる中、畑山は坂本の豪打をぎりぎりのところでブロック、すかさず左右の連打を小気味よく繰り出す。坂本は自慢の打たれ強さで畑山のパンチを物ともせず肉薄していく。距離は完全に坂本。いつか坂本の強打が若き王者を捕まえてしまうだろうと誰もが思う中、じわじわと異変が起こり始める。

9ラウンド終了時、しっかりとした足取りでコーナーに戻るチャンピオンと対象的に、打ち合いが得意なはずの坂本がふらついている。

試合後の畑山。

「彼はパンチに自信があるから僕の弱いアゴに渾身のパンチを振り回してくるだろう。それを冷静に見極めコンパクトなパンチを返す。彼はタフネスに自信があるから多少の被弾は厭わないだろう。これを根気よく繰り返す。すると彼はどんどん消耗する。そうして僕が勝つんです」

25歳のチャンピオンはこんなことを考えながら挑戦者のハードパンチをブロックの上から撃たれ続けていたという。

10ラウンド開始早々、畑山がキャンバスを左足でドンと踏み鳴らす。坂本がこれに全く反応していないのを見届けると、ようやくのベストパンチ、渾身のワン・ツーを瀕死の挑戦者の左アゴに叩きつけた。

20000人の観客が唖然とする中、稀代のタフガイ坂本がゆっくりとキャンバスに沈むのと同時に青コーナーからタオルが投げ入れられた。

相手を知り己を知れば百戦危うからず。