拳を固めてサワディカップ12-4
6月2日、9:00起床。近所のタイレストランに朝食をとりに行く。クイッティアオとパッ・ブーン・ファイデーン(空芯菜のニンニク炒め)、チャン・ビールでしめて240B(720円)。タイの食事はあいかわらず安い。しかし、街の発展具合を見てわかるように、通貨も強くなり、物価も上昇傾向にある。数年後には、ジャパンマネーでの老後の隠居も、かなり難しくなっていることだろう。
一部のぐうたらを除き、タイの人々は本当によく働くと思う。かつての日本がそうだったように、分をわきまえ、目の前のことを、文句も言わず、笑顔で働いている。
昔、何かで読んだ本を思い出した。たしか、キリスト教やイスラム教は動物の生態をテキストにしていて、仏教は植物のそれがモチーフになっているという内容だったと思う。
前者は発展、進化を目指し、後者は運命に身を委ねるのが得意とされるのだという。なるほど、タイの人々を見ていると、どんな仕事も割り切って淡々とこなすし、災害や不運も「起きてしまったものはしかたないこと」と過度な不平を言わず、とびきり潔く受け入れるように思う。タイのボクサーも試合中に、形勢が不利になると、あっさりと試合を投げてしまう事があるが、これもタイ人気質とするのは考えすぎか。
ともあれ、バンコクに来るたびに、こうしたタイ人気質に救われていることは間違いない。最近の日本のギスギス感が次第にしんどくなってきているのを感じる。穏やかでやさしいタイ人たちの笑顔と接してから帰国すると、そんな日本の変な空気をリセットして、スッキリと頑張り直すことができる。日本での暮らしがしんどくなって、寛容なタイに渡り、この地にすがり続けていた沈没日本人たちの気持ちがわかるような気がした。久しぶりにジュライサークルに行ってみよう。
ジュライホテルは相変わらずの朽ち果て方だった。かつて廃人たちのたまり場だった、どんよりとくすんだ建物は、皮肉にも、スプレーアートでカラフルに装飾されていた。いつかは取り壊され、キレイなホテルかモールでも建つのだろうが、若かりし頃を思い出せるように、いつまでも残っていてほしいと思う。
ホテルに戻り、ジムで筋トレした後、プールで泳ぐ。このホテルは部屋も広く、プールも快適だ。フロントに行き、長期契約の相談をした。事務所に通され、支配人から詳しい説明を受ける。オフィス家具は何でも持ち込んでいい、家賃は月額10,000B(30,000円)、ルームクリーニング、Wifi、光熱費は別途請求。立地もよく、悪くない条件だったが、
「ここはWifiがかなり弱く、FXトレードや、動画・大量のデータを扱うには向いていないかもしれない。ラチャダーピセークあたりのコンドミニアムの方が、もっといい部屋があるかもしれないよ」
と、支配人が不動産物件検索サイトを教えてくれた。
15:00、ホテルをチェックアウトして、タクシーを手配。ラッサワイへ向かう。
チャッチャイのジムに着くと、サタンムアンレックが最終調整に精を出していた。WBAミニマム級チャンピオン、ノックアウト・CPフレッシュマートとの火の出るようなスパーリングの後、チャッチャイと私の二人がかりのミット打ちを8ラウンド。サウナスーツを着込んで汗を絞り出す。
「今日リミットに入れるんです」
蒼白い顔に鋭い眼光が走った。
この日は、日本で内藤大助(宮田)や亀田興毅(亀田)らと激闘を演じた、元WBCフライ級チャンピオン、ポンサクレック・ウォンジョンカムが臨時トレーナーとして来ていた。初対面だったので、挨拶をすると、
「日本でトレーナーをやってみたい。どこか紹介してほしい」
とお願いされた。
練習後、みんなで作戦会議をしていると、ビーさんから電話。
「今日帰国でしょう?ドン・ムアン空港へ行く前に家へ寄ってください。会わせたい人がいます」
とのこと。
サタンムアンレックと東京での再会を約束してがっちり握手。ベルト奪取に期待したい。
30分かけてTジムに着くと、陽もとっぷりと暮れた薄暗いジムに、見覚えのある顔があった。熊本で会った、WBOオフィシャルのメキンさんだった。ビーさんが、駆け寄ってきて、
「ケンさんいらっしゃい。メキンがいて、びっくりしたでしょう。詳しい話は後で。さあ、食事に行きましょう」
ビーさんの運転でパトゥムタニのリバーサイドレストランに。
乾杯の後、「二人は知り合いなんですか?」と聞くと、
「知り合いも何も、私とチャッチャイとメキンはアマチュア時代、ソウル五輪や世界選手権の強化チーム時代のチームメイトだったんですよ」
と笑っていた。
「ケンさんは全く違う縁で、我々3人と知り合いましたね。これは偶然じゃない。こうなるようになっていたんですよ。流れなんです」
あっけに取られていると、大量の料理が運ばれてきた。
「ケンさん、今日はお祝いです。4人でチームを組みましょう。きっといい仕事ができますよ」
ギターを抱えた流しの歌手が、席までやってきて、谷村新司の「昴」を弾き語りしてくれた。
この歌手は、歌詞の意味を知っているのか、偶然なのか、我々の門出を祝うような歌だった。