拳を固めてサワディカップ13-3
7月18日、9:00起床。屋上プールで泳ぎ、ホテル近所の屋台で朝食。クイッティアオと野菜炒めで80B(240円)。客が一人もいないガラガラの店だったが、思いのほか美味しかった。
今日は一日することがないので、カオサンにでも行ってブラブラすることにした。バスに乗り40分ほどで活気あふれるカオサンに着いた。
カオサンロードは相変わらずの人出だった。通りは外国人youtuberや旅行客で活気に満ちている。軒を並べるカフェやバーでは、昼間からビールを楽しむ人達の嬌声が響く。誘われるようにオープンバーに入り、特大ビールを注文する。罪悪感と心地よい自堕落さを感じながら、隣に座ってきたドイツ人カップルと何度も乾杯。ほろ酔いになったところで、屋台のココナッツジュースを買い、フットマッサージ屋に入る。
60分300B(900円)のマッサージは最高だった。施術開始後すぐに眠ってしまったが、終了後立ち上がってみてびっくり。足裏やふくらはぎを丹念にマッサージしてもらっただけで、腰痛までがきれいに治っていた。さすが、歴史あるタイマッサージ。選手の疲労回復のために、タイマッサージの学校に通い勉強するのもいいかもしれない。帰国後、真剣に検討してみよう。
土産物を買った後、チュワタナジムへ顔を出すことにした。時計を見ると15:00。そろそろ午後の練習が始まる頃だ。10年ほど前に出稽古に来たときお世話になった、トレーナーのチャムナンやウェーンペットは元気にしてるだろうか。タクシーを拾い、セントラル病院前へ。
雑多な町並みは相変わらずだった。長屋造りの狭い路地を抜け、久しぶりのチュワタナジムの門をくぐる。
入り口に座っていた女将さんに挨拶。数年振りだというのに覚えていてくれた。お土産でも持ってくればよかった。かつて合宿でお世話になったお礼をいい、お茶をごちそうになりながら近況を伺う。今はめぼしい選手もおらず、チャムナンやウェーンペットも今はもう来ていないという。
ジムは相変わらずの無骨さだった。いびつに変形したサンドバッグ、コンクリート打ちっぱなしの床。併設する食堂で合宿生の選手たちとみんなで女将さんの手料理を食べていた毎日を思い出す。二階の合宿所も当時のままだった。二段ベッドが所狭しと並べられ、20畳くらいののスペースに15人ほどがタコ部屋のように身を寄せ合って眠っていたのが懐かしい。
あれから随分時間がたってしまったんだなと実感する。
コンビニへ行き、スポーツドリンクを大量に買い込む。選手たちへの差し入れですと、女将さんに手渡し、再会を約束してジムを後にした。
夕食をとりにナナへ向かう。ウォラブリ・ホテル前の食堂で激辛トムヤンクンとオムレツをチャン・ビールで流し込む。気持ちいい夜風が吹くオープンデッキでくつろいだ後、ナナプラザへ向かって歩いていると、ソイ4のきれいなビルのテナントに新しくボクシングジムができていた。
覗いてみると、誰もいないジムで、トレーナーらしき男が一心不乱にスマホをいじっている。声をかけると、オープンしたばかりで、入会者も全然集まらない。失敗したかなあ、と悲しそうな顔で笑っていた。
19日9:00、チャッチャイからの電話で目が覚める。
「今日はミンブリーで試合があるけど、もちろん見に来るだろう?何時に来る?」
12:00にタクシーを手配して試合会場のJBAC大学へ向かう。大学構内の広場に特設リングを作り、控室はやはりオープンテント。中に入るとちょうどチャッチャイが今日のメインイベント、OPBF(東洋太平洋ボクシング連盟)シルバー・スーパーフライ級王座決定戦に出場するヨードモンコンにバンデージを巻いているところだった。
「丁度いいところに来た。トレーナーのトーンも前座に出場するから、バンデージを巻いてやってくれないか」
と頼まれる。
トーンの拳にバンデージを巻きながら、
「今日の対戦相手は?」と聞くと、
「ミナヨーティンジムの期待の新人らしい。19勝1敗のホープと聞いている。噛ませ犬の扱いだということはわかっているが、むざむざ負けるつもりはない。全力で勝ちに行く。後でウォーミングアップに付き合ってほしい。左フックのカウンターを教えてもらいたい」
と、燃えるような眼差しで語っていた。
メインのヨードモンコンは初回から圧倒的なスピード差で相手のパンチを見切り、的確にカウンターを決めていく。決死の覚悟で強打を振り回す相手を冷静にいなしながら、危なげなく判定勝ち。見事新チャンピオンに輝いた。
さあ、トーンとのウォーミングアップだ。ミットを持ち、しつこい左ジャブ、相手の突進や撃ち終わりに合わせる左フックのカウンターを20分みっちりと特訓をする。
「この短い時間で、いろんなことを教えてもマスターできるはずがない。相手の攻撃は確実なブロックで凌げ。相手の出鼻と撃ち終わり、この瞬間にだけ左フックのカウンターで勝負をかけよう。集中力を切らすんじゃない。一瞬のチャンスを確実にモノにしろ」
トーンに伝えたアドバイスはこれだけだった。
噛ませ役でリング上がるボクサーの気持ちはよく分かる。若い有望選手の踏み台としてお声がかかったということ、負けることにもうすっかり慣れてしまったこと。そんな事はよくわかっている。黒星だらけで汚れてしまった自分の戦績にもう一つ黒星が追加されたところで、今後のキャリアに大した変化があるわけではない。
ただ、負けたくてリングに上がるボクサーは一人としていない。友人や恋人が見ている前で無気力に負けるということは、わずかに残った誇りまで、自ら捨ててしまうということだ。
リングに上ったトーンの表情は、負けに行くボクサーのそれではなかった。