拳を固めてサワディカップ14-2

8月17日、9時起床。屋上の広々としたプールで1時間泳ぐ。今日は日差しも強く気持ちがいい。リクライニングで日光浴の後、最寄りの屋台で激辛パッタイ20B(60円)の朝食。天気も良く、散歩日和だったが、なんとなく出歩く気がせずに、部屋に戻り、冷房をガンガンに効かせて二度寝をすることにした。

1時間ほど熟睡し、12:00の目覚ましでベッドを出る。GRABアプリでタクシーを手配し、ワークポイント・スタジオへ向かう。ボクシング好きだという運転手、
「試合を見に行くんだろ?チャイノイとポンサクレックが出るんだっけ。あの二人にはぜひ世界タイトルを取ってもらいたいね。いつも応援しているんだ。仕事さぼって応援に行こうかな」
と、とんでもないことを言い出した。その後もボクシング談義をしていると、あっという間にワークポイント・スタジオに到着。運転手はタクシーを駐車場に停めて私の後をついてきた。本当に仕事をさぼって観戦するつもりらしい。

関係者控室に行き、スチャートさんに挨拶。「ちょっと風邪気味なんだ」とゴホゴホ咳きこんでいた。選手控室に行くと、前座カードに出場するサマートレックがいた。
「左の手首の調子が良くないから、今回もバンデージを巻いてくれないか」というので、手首を補強するよう、アンカーを強めに作り、しっかりと固定した。バンデージチェックの前に、グローブを着けさせ、ミットを受ける。
「手首の感じはどう?」と聞くと、
「少し衝撃が響く」というので、
補強を強化してバンデージを巻きなおした。

用意されたリングサイド席に向かうと、チャイノイの父親から声をかけられた。息子のサポートにとても熱心な父親で、チャイノイの試合には必ず応援に来ているという。
「息子を応援してあげてください。お願いします」と、何度も何度も頭を下げられ恐縮した。

そのチャイノイ、フィリピンの強打者、マシュー・アルシリャスを圧倒し、見事な2ラウンドKO勝ち。無敗記録をまた一つ更新した。

ポンサクレックはフィリピンのロムシェーン・サルギーラと壮絶な打撃戦の末に判定勝ちで辛勝。勢いだけで勝ってきた選手だけに、相手から踏ん張られたり、応戦された時の攻防がまだ拙い。世界レベルになると、実力は紙一重だ。その互角同士に優劣がつくのは攻防の切り替えの瞬間や、対戦相手がふと見せる、ごくわずかなミスに鋭くつけ込む判断力や対応力の差に尽きる。正直なだけでは世界のトップでは勝ち続けることは難しい。もっとディフェンスとオフェンスを織り交ぜたボクシングをしないと厳しいだろう。

サマートレックは19歳のホープにふがいない6R判定負け。かつて井上尚弥の世界王座に挑戦した猛者も、ここ6戦は1勝4敗1引分と振るわない。このまま若手の踏み台となっていくと思うと一抹のさみしさを感じる。世界戦線への再浮上は見込めないが、大きなケガをすることなくリングに上がり続け、できる限りしっかり稼いでほしいと思う。

リングサイドで予備カードを観戦していると、角海老宝石ジムでボクシングをしていたという大部さんから声をかけられた。引退後、カメラマンを志し、アジア各地で格闘技を撮っているらしい。格闘技の撮影は、次の展開や予測が全くつかない上、縦横無尽に動き回るので本当に難しいという。いつか写真一本で食べていけるように頑張りたいと、情熱たっぷりに語っていた。大部さんのこれからの活躍、楽しみにしています。

行きと同じタクシーでラムルッカのサーサクンジムへ。2時間みっちりコーラの指導。サンドバッグ打ちもスパーリングもさせず、縄跳びとシャドーボクシングでひたすらリズムを体に叩き込む。地味な練習で退屈そうなコーラだったが、
「リズムはボクシングの第一条件だ。これをマスターすれば、今後の練習がもっと充実していくんだから、根気よく頑張れ」と励ます。下手なタイ語でどこまで伝わっているのか少々不安だったが。

最後にミットを受けるとパンチの切れが格段に増した。もともとパンチのある選手だったが、鋭さが加わった。コーラも自分の打ったパンチに手ごたえがあったのか、満足そうだった。

「これからいくつかのプランを持って練習メニューを作っていく。時には不満に思ったり、納得のいかないメニューもあるだろうけど、先につなげるための意味ある練習なんだから、信じてついてきてほしい」
そう言うと、わかったようなわからないような顔で笑っていた。

ホテルに戻り、プールでひと泳ぎ。ソイ17のタイマッサージ屋に入り、2時間350B(1050円)のコースで全身すっかりリフレッシュ。大志君を誘い、プラディパッドホテル横のタイ料理店で待ち合わせる。マッチメイクの打ち合わせをした後、
「抱えているカンボジア兄弟のボクサーたちは元気にしてる?」と、聞くと、
「タイ選手のアテンドでお父さんと一緒に日本に行っている間に、荷物をまとめて逃げちゃいました。上を目指そうと思い、しっかりと指導をしていたのですが、彼らにとっては厳しすぎたんですかね。外国人選手のマネジメントや管理は本当に難しいです」
と、がっかりしていた。

若いころ、タイの選手の共同マネージャーをしたことがある。まだ20代で、インターネットもそれほど普及していない時代、海外の選手のマネジメントをしていること自体に浮かれて満足していた。選手とその家族が生活できるくらいの送金をし、たまにかける国際電話で近況を聞く程度だった。試合もなかなか決まらず、たまに出場してはKO負けの連続だった。嫌な予感がして、抜き打ちでタイに渡り、ジムを訪ねてみると、ほとんど練習に来ていないという。生活の心配がなくなったおかげで、練習もせず、毎日飲み歩いているとのことだった。

バブル後のあぶく銭で浮かれていた自分を恥じた。と、同時に海外の文化や気質への理解、マネジメントに必要な姿勢や管理能力の大切さをひしひしと感じたものだった。その当時はもうこりごりだと思ったが、まさか20数年後、同じことを繰り返すとは思ってもみなかった。今回は同じ失敗を繰り返さないよう、心してかかろう。